2019年5月5日日曜日

2019年5月5日(士師記1〜2)

今日の通読箇所:ルカによる福音書9:37~62、士師記1~2、詩編133~134

士師記1~2;
イスラエルの人々は約束の地にいよいよ攻め上り、与えられた地を実際に手に入れました。しかし、その場面で繰り返し報告されているのは、彼らが不徹底であったことです。「ベニヤミンの一族は、エルサレムに住むエブス人を追い出さなかったので、エブス人はベニヤミンの一族と共にエルサレムに住み続け、今日に至っている(1:21)」。同じ趣旨のことがいろいろな部族について書かれています。ただし、例外もありました。「モーセが告げたとおり、カレブにはヘブロンが与えられ、彼はそこからアナク人の三つの氏族を追い出した(1:20)」。ヨシュアと共にカナンの地を偵察し、断然神が言われるとおりに攻め上るべきだと訴えたカレブ。彼は、主の命令に忠実でした。与えられた地からアナク人を追い出した。しかし、他の部族のほとんどは、神様の言葉に従うことに不徹底でした。
その結果、どうなったのか?「私はあなたがたをエジプトから導き上り、あなたがたの先祖に誓われた地に入らせ、こう告げた。『私はあなたがたとの契約を決して破らない。だから、あなたがたはこの住民と決して契約を結んではならない。彼らの祭壇は壊さなければならない。』しかし、あなたがたは私の声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえ、私は告げる。『私もまた、あなたがたの前から彼らを追い払わない。彼らはあなたがたにとって落とし穴となり、彼らの神々はあなたがたにとって罠となるだろう』」(2:1~3)。そして、この後の士師記はこの言葉のとおり、彼らが神様に従わなかったことが罠となり、イスラエルは坂道を転げ落ちるようにして神様から離れ、背き、他の神々に従うようになり、その結果自分たちの災いを増していく有様が描かれていきます。士師記は、イスラエルの転落の歴史を赤裸々に語ります。
そんなイスラエルに、神様は士師という指導者を与えてくださいました。「彼らが圧迫し抑圧する者たちを前に呻き苦しむのを、主が憐れまれたからである(2:18)」。それで少しよくなるが、またすぐに神様から離れてしまう・・・。それを繰り返し、次第に悪化してしまうことになります。ですから、士師記を読むと、私たち人間のどうしようもない神様に背く罪の姿が暴露されており、悲しく、つらい思いになります。ここに描かれているのが、他ならない自分の姿だからです。しかしだからこそ士師記は大事です。私たちが生きるべき指針を示しているからです。私たちを求めていてくださる神様の悲痛な呼び声、それが士師記であると思います。

2024年12月22日の聖句

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