今日の通読箇所:ルカによる福音書10:1~24、士師記3、詩編135
士師記3;
今朝与えられている詩編135ではこのように言っています。「国々の偶像は銀と金、人の手が造ったもの。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、口には息もない。それを造り、頼る者は皆、偶像と同じようになる。」この詩編は、今朝の士師記の様子をよく言い表しています。「イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住み続ける間に、彼らの娘を自分たちの妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えるようになっていた(5~6節)」。そして、まるで目が見えなくなってしまったかのように、耳が聞こえなくなってしまったかのように、生き方にさまよってしまいます。分別を失い、イスラエルは約束の地には行ってすぐに崩壊の危機を迎えました。
第3章では三人の士師の名前が紹介されています。エフドの記述が一番長いです。彼は左利きであったと言います。わざわざ左利きと報告しているというのは、それだけ珍しかったということでしょう。あるいは、昔の時代のことですから、社会的に左利きの戦士は半人前だというような見方があったのかもしれません。そうだとすると、エフドはハンディキャップを持つ人と考えられていたのかもしれません。
エフドは、当時イスラエルを圧迫していたモアブ人の王エグロンの暗殺を計画します。その際、彼は剣を「右腿に帯びて衣の下に隠し(16)」ました。普通右利きであれば左の腰に帯刀します。貢ぎ物を持って王に謁見するのですから、その前に剣は取り上げられるでしょう。しかし、右腿に忍ばせた剣に気づく者はいませんでした。こうして、「エフドは左手を伸ばして右腿から剣を抜き、王の腹を刺した(21節)」。暗殺に成功しました。
おそらく社会の中では、それも戦士としては、左利きであることはマイナスであり、誰も評価してくれなかったと思います。しかし、その左利きという特性が生かされて、彼はイスラエルを救うことができたのです。私たちが自分の弱さだと思っていたり、社会の中でそう評価されたりする部分を、神様は却って大きく用いてくださるのではないでしょうか。
2019年5月6日月曜日
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