今日の通読箇所:ルカによる福音書10:25~42、士師記4~5、詩編136
士師記4~5;
「エフドが死んで、イスラエルの人々は再び主の目に悪とされることを行った。そこで、主はハツォルを治めていたカナンの王ヤビンの手に彼らを売り渡された。ヤビンの将軍は、ハロシェト・ハゴイムに住んでいたシセラであった。ヤビンは鉄の戦車900台を有し、20年にわたってイスラエルの人々を力づくで押さえつけたので、イスラエルの人々は主を叫び求めた。」この叫び求める声に応えて、神様が立ててくださったのが、デボラという士師です。女でした。昨日のエフドと同じで、やはり、社会の中で女であることはこの時代プラスには扱われていなかったのではないかと思います。
しかし、この話でも、弱者、あるいは二流のように見なされていたに違いない女が活躍します。将軍シセラがヘベルという人の妻ヤエルの所に行って、休憩したいと言った。彼女はシセラを休ませます。「ところが、ヘベルの妻のヤエルは天幕の杭を取り、槌を手にして、疲れて熟睡していたシセラにそっと近づき、こめかみに杭を打ち込んだ。杭は地に突き刺さり、彼は死んだ(4:21)」。こうしてヤビン王もイスラエルの前に屈服し、イスラエルは自由になることができたのです。
エフドも、ヤエルも、社会の中であまり役に立たないと見なされていたであろう人が、その弱さによって人々を助けました。相手には油断もあったに違いない。この「油断」は、士師記を読む上で、一つの大切なテーマであると思います。
このときの勝利を祝って、第5章では士師デボラの歌が収められています。最後に言っています。「こうして、主よ、あなたの敵はすべて滅びる。。主を愛する者たちは、日の出の勢いを得る(31節)」。私たちを他でもないこの「私」として用いてくださる方を愛し、仕えていきましょう。