今日の通読箇所:ルカによる福音書11:1~28、士師記6~7、詩編137
士師記6~7;
士師として神様に召されたギデオンは、とても臆病な人でした。敵のミデヤン人らが責めてくると言って怯え、隠れていました。「ヨアシュの子ギデオンは、ミデヤン人の目を避けるため、絞り場で小麦を打っていた(6:11)」。主の使いが彼のところに来たときも、言い訳ばかりしています。「主の使いは彼に会うと、『力ある勇士よ、主はあなたと共におられます』と言った。ギデオンは答えた。『お言葉ですが、わが主よ。主が私たちと共におられるのでしたら、なぜこのようなことが私たちに降りかかったのですか』(12,13節)」。さらに、このようにも書かれています。「主は彼の方を向いて言われた。『行きなさい。あなたは持っている力を尽くして、イスラエルをミデヤン人の手から救うのだ。あなたを遣わすのはこの私だ。ギデオンは言った。『お言葉ですが、わが主よ。どうして私はイスラエルを救うのでしょう。・・・』(14,15節)」。ギデオンは終始この調子です。全く勇敢ではないし、臆病で、神を信じる大胆さがほとんど見られません。
しかし、主なる神様は、そんな彼を選んで、士師としてお立てになったのです。
ギデオンと共にミデヤン人と戦う者たちがいました。最初は22000人ほどいたようです。しかし、主はギデオンに言われます。「あなたと共にいる兵の数は多すぎるから、私はミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救ったのだ』と言って、私に対しておごり高ぶるようになってはいけない(7:2)」。それで、恐れおののく者を家に帰し、一万人が残りました。しかし、まだ人数が多い。そこで、彼らを水辺に下らせて水を飲ませます。「主はギデオンに言われた。『犬のように舌で水をなめる者と、膝をついてかがんで水を飲む者とを、すべて別にしなさい』(5節)」。そして、膝をついて手で水をすくって飲んだ者だけを残しました。三百人が残りました。その三百人で、ミデヤン人を撃破したのです。
犬のように舌で水をなめる者と、膝をついてかがみ、手ですくって水を飲むもの。一体、何が違うのか?犬のように舌で水をなめれば、敵が突然責めてきたときに応戦することができません。しかし、立て膝でいれば、すぐに剣を取って戦うことができます。いつでも油断せず、敵の前にいることを意識することを問うたのです。それは、言葉を換えれば、臆病な者だけを残した、と言ってもいいかもしれません。
今、自分は敵の前にいる。そのことを意識し、油断せず、いつでも備えている。その敵は、私たちに救う罪の心かもしれません。神から離れる疑いかもしれません。私たちは剣を取って誰かと戦うのではなくとも、慢心とせずに信仰者としていつでも証しをする備えをしていたいと願います。