2019年2月21日木曜日

2019年2月21日(レビ記1〜2)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙10、レビ記1~2、詩編60~61

レビ記1~2;
レビ記では、最初に、ささげ物に関する規定があります。しかもその最初に書かれていることは、最も重要な内容であろうと思います。そして、それは、焼き尽くすささげ物についての規定です。焼き尽くしてしまうのですから、余り物を祭司が食べることもありません。それは人間の手には一切渡らず、完全に主だけのものとして献げられる、ということなのでしょう。
「もしその人の献げ物が牛の焼き尽くすいけにえであるなら、欠陥のない雄牛を献げなさい。主の前でそれが受け入れられるよう、会見の幕屋の入り口にそれを引いて行きなさい。その人が焼き尽くすいけにえの頭に手を置くと、それはその人の代わりに受け入れられて、その贖いとなる(1:3-4)」。
この焼き尽くすささげ物は、献げる人の代わりのいけにえとして献げられます。「贖い」という言葉まで使われています。この言葉のもともとの意味は「覆う」です。罪を覆ういけにえ、ということなのでしょうか。
心に残るのは、献げる人が手をそのいけにえの頭の上に置く、という行為です。それは今から殺されるこの動物が私の身代わりなのだ、と確認する時になるのではないでしょうか。主イエス様が私たちの身代わりとして献げられた事実を、厳粛な重いで受け止めたいと改めて思わされます。キリストは、私のためのいけにえとなって、十字架の上で殺されたのです。

2024年11月1日の聖句

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