さいなむ者、不法の者に苦しめられているが、この詩編の特徴は蛇のように鋭い舌や唇の毒と言っているとおり、そういう者たちの言葉によって苦しんでいたということであろう。私たちにもしばし起こるし、とっさの時には相手をやり込めてやろうとしてしまう。しかしこの激しい言葉の詩編は、その訴えを神に向けている。「主は必ず、貧しい人の訴えを取り上げ」てくださると実際に信じた生き方をしているのだ。私もこのように神を信じたいと願う。
2024年10月30日の聖句
主は恵みの倉である天を開いて、あなたの地に季節に応じて雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。(申命記28:12) 私の愛するきょうだいたち、こういうわけですから、しっかり立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなたがたは自分たちの苦労が、主にあって無駄でな...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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主である私はその番人。絶えずぶどうに水をやり、畑が荒らされないように、夜も昼も守っている。(イザヤ27:3) 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。(1コリント10:13) 夜も昼も畑が...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...