2019年2月22日金曜日

2019年2月22日(レビ記3〜4)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙11:1-12、レビ記3~4、詩編62

レビ記3~4;
第3章には「会食のいけにえ」というものが登場します。これは昨年刊行されたばかりの聖書協会共同訳の言葉でで、新共同訳では「和解の献げ物」となっていました。もともとの言葉を見てみると、平和のささげ物とか連携のささげ物といった意味合いの言葉が使われています。
このささげ物が実際にどういうときに献げられたものなのかは、詳しく調べてみないと分かりません。ただ、このささげ物の名前から考えてみると、人間同士の和解といった文脈で献げられていたのではないかと推測します。次の第4章では「清めのいけにえ」について触れられています。「人が過って違反した場合、次のようにしなければならない」といって、清めのいけにえについての規定が書かれていきます。ここでも明らかなとおり、私たちは、神様に対しても隣人に対しても、過ちや負債ばかりです。神様との関係も隣人との関係も、一体どうやって精算したらいいのか。旧約の時代に生きた神の民もそのことに真剣に取り組み、このようにして神様の指示を聞いたのではないでしょうか。
私たちの和解は、キリストが成し遂げてくださいました。聖書協会共同訳には、引照と呼ばれる注のようなものが標準掲載になりました。この「会食のいけにえ」のところで、コリントの信徒への手紙一10:16-18が指定されています。「私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血との交わりではありませんか。私たちが割くパンは、キリストの体との交わりではありませんか。パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンにあずかるからです。肉によるイスラエルのことを考えて見なさい。いけにえを食べる人は、それが献げられた祭壇と交わる者になるのではありませんか。」キリストご自身が、私たちのための平和になってくださり、私たちが共に食卓について会食に与ることができる結び目になってくださいました。私たちは一つのキリストの体を裂いて、一つの教会になります。そこは、罪の赦しを経験する場所なのです。

2024年5月16日の聖句

主は高殿から山々を潤す方。主の業の実りで地は満ち足りる。(詩編104:13) 人々が十分食べたとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい」と言われた。集めると、人々が大麦のパン五つを食べて、なお余ったパン切れで、十二の籠がいっぱいになった。...