今日の通読箇所:マルコによる福音書11:20~12:17、ヨハネによる福音書14、詩編32
マルコによる福音書11:20~12:17;
イスラエルの人々が生活をしていたユダヤの国に流通していたお金は、ローマの貨幣だったようです。ローマの属国だったためです。その貨幣であるデナリオン銀貨には、皇帝の肖像と銘が刻まれていました。このお金を使うたびに、彼らは自分たちがローマ帝国に支配され、皇帝の権威のもとに生活していることを思い出したのでしょう。貨幣の肖像や銘には、そういう機能があるものなのだと思います。私たちが使っている貨幣も、数年したら一新されるようです。お金のデザインも、そこに印刷される肖像も、そもそもその貨幣に価値があると保証するのも、この世の権威を持っている人たちです。私たちは、その貨幣を持たないと一日も生活できない社会の中に生きています。
私はこの話が12:1~12の直後に置かれている、ということに今回初めて気づきました。1から12節は、ぶどう園の主人と農夫たちの物語です。ぶどう園を造った主人が農夫たちにそれを貸して旅に出て、収穫の時期に僕を使いにやると、彼らは僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせずに追い返す。ついに主人は最後に自分の息子を送りましたが、その息子は農夫らに殺されてしまった、という話です。
明らかに農夫は私たちであり、ぶどう園の主事は神、殺されたその子は主イエスのことです。僕たちは預言者でしょう。預言者たちはひどい目に合わせれて追い返されたけど、息子なら敬ってくれると期待していた。しかし、息子だからという理由でなおのこと憎まれ、ついに殺された。神の子なのに、主イエスはなぜ十字架に掛けられたのか?神の子だから、なおのこと憎まれたのです。誰に?私たちに。
お金には、この世の支配者の肖像と銘が刻まれています。では、私たちが生きるこの世というぶどう園には、誰の肖像と銘が刻まれているのでしょう?もしかしたら、この世の支配者ですらなく、私たち自身の肖像と銘を、それぞれが勝手に刻んでいるのかもしれません。しかし、神様が私たちをお造りになったとき、私たちは「神のかたち(創世記1:26)に造られました。私たちは、本当は、神様の肖像と銘が刻まれているのです。主はおっしゃいます。「神のものは神に返しなさい(マルコ12:17)」。
神にぶどう園をお返しすることを拒んだ農夫たちは、主人の息子を殺しました。私自身とこの世界を神にお返しすることを拒んだ私たちは、神の子を殺しました。このぶどう園には、今、十字架が立っています。私たちの前に、十字架に掛けられたままのお姿のイエス・キリストがおられます。
2026年3月19日の聖句
しかし私は、群れの残りの者を、追いやったすべての地から集め、自分たちの牧場へ帰らせる。彼らは多くの子を産み、増える。(エレミヤ23:3) (イエスの言葉)私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。(ヨハネ10:10) 預言者エレミヤは、ユダの国が滅んでいく時代の...
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