2019年7月27日土曜日

2019年7月26日(歴代誌下1〜2)

今日の通読箇所:エフェソの信徒への手紙2、歴代誌下1~2、箴言22

歴代誌下1~2;
今、この歴代誌と共に読んでいる箴言は、「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言(箴言1:1)」と呼ばれ、ソロモンの名に帰されています。毎日こうして少しずつ読み進めてみると、その知恵の素晴らしさは時代を超えて現代にも生きるものだと思わされます。ソロモンがそのような知恵をどこから得たのか。それは神に与えられたものだ、と聖書は言います。「あなた方願ったのは、私の民を治めるための知恵と知識だった。あなたには知恵と知識が与えられる」(歴代誌下1:11~12)。そして、知恵を求めたソロモンが父から受け継いだ大事業が、神殿建築でした。つまり、ソロモンの知恵と神殿に象徴される礼拝とは、深く結びついている、ということではないでしょうか。
神殿を建てるために、ソロモンは人の助けを借りました。「彼はまた、ティルスの王フラムに人を遣わして言った。『あなたは父ダビデに、彼の住む王宮を建てるためにレバノン杉を送ってくださいましたが、私も、わが神、主の名のために神殿を建てようとしています。・・・私の家臣たちをあなたの家臣たちと共に働かせ、大量の木材を準備したいのです』」(2:2~3a、8)。彼がこうしてフラムの助けを借りようとしたのは、「天も、天の天も、主をお入れすることはできないのに、一体誰が主のために神殿を建てる力を持っているというのでしょうか。主のために神殿を建てるというこの私は、一体何者でしょうか。ただ主の前に香をたくためだけの者です」(5節)と言っているとおり、この大事業の前にどんなに自分が小さくて非力であるのかを、よくわきまえていたのです。だから、他者の助けを素直に借りることができました。
助けてください、手伝ってくださいということは、時に、とても難しいことです。しかし、私たちにはひとりではできないこともたくさんあります。神様に仕えることは、特にそうなのだろうと思います。ひとりで礼拝を完成させることはできないないし、ひとりですばらしい信仰者になることもできません。隣人の存在が、どうしても必要です。『助けて』と言える、それが教会なのです。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...