今日の通読箇所:ヨハネによる福音書16,エゼキエル書27~28
エゼキエル書27~28;
ティルスに対する預言が続きます。「主なる神はこう言われる。あなたの心は驕り高ぶり、『私は神だ。海のただ中にある神々の住まいに住んでいる』と言った。しかし、あなたは人であって、神ではない。自分の心を神々の心のように思っているだけだ」(28:2)。この頃、ティルスは海上貿易によって得た富で豊かであったようです。第27章25節までを見ると、その貿易の豊かさが描かれています。銀、鉄、錫、鉛、馬、軍馬、らば、象牙と黒檀、クジャク石、紫の布、彩り豊かな衣、上質の亜麻布、さんご、あかめのう・・・。豊かで、力のある国が傲慢になるというのは、古今東西変わることのない現象です。ティルスも同じだった。「私は神だ」というのはいかにも古代風の表現方法と思われるかも知れませんが、今だって、大国と呼ばれる国々には同じような驕りがあるのではないでしょうか。あるいは、もはや大国でもないのにその幻影に取り憑かれて他国を見下すようなケースもあるのかもしれません。
神は、ティルスの傲慢を放っては置かれませんでした。「漕ぎ手があなたを大海原に連れ出したが、海の真ん中で、東風があなたを打ち砕いた」(27:26)というのは、何らかの海難事故なのでしょうか。あるいは海戦での敗北でしょうか。いずれにしてもそれは裁きの始まりでした。「それゆえ、主なる神はこう言われる。あなたは自分の心を神の心のように思っている。それゆえ、私は諸国民の中で最も凶暴な他国の民をあなたに差し向ける。彼らはあなたの知恵の美しさに向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、穴に下らせる。あなたは海のただ中で刺し貫かれて死ぬ」(28:6~8)。
驕れる者は久しからずと、日本でも古来言われます。満月のように欠けた所のない「我が世」もいずれは必ず滅びます。しかし私たちはそれを単に歴史の教訓として覚えるだけではなく、国家権力が神の前に「私こそ神」と言ってのける化け物にならないように、監視せねばなりません。あるいは、もはやそう言ってはばからないのであれば、その罪を指弾しなければなりません。
28:25以下にイスラエルの救いが預言されています。イスラエルも、やはり自分自身を神とするような過ちを重ね、裁かれました。同じ罪を負っています。しかしその裁かれ、くずおれ、弱った葦のような者を、神は救ってくださるお方です。神はへりくだった者の神です。謙って神を礼拝することこそ、私たちの最高の幸いだからです。主の御前に身を低くし、我が身は衰え、このお方は栄えるべきだと、私たちは御前に賛美を献げて、今日の日に出て行きましょう。
エゼキエル書27~28;
ティルスに対する預言が続きます。「主なる神はこう言われる。あなたの心は驕り高ぶり、『私は神だ。海のただ中にある神々の住まいに住んでいる』と言った。しかし、あなたは人であって、神ではない。自分の心を神々の心のように思っているだけだ」(28:2)。この頃、ティルスは海上貿易によって得た富で豊かであったようです。第27章25節までを見ると、その貿易の豊かさが描かれています。銀、鉄、錫、鉛、馬、軍馬、らば、象牙と黒檀、クジャク石、紫の布、彩り豊かな衣、上質の亜麻布、さんご、あかめのう・・・。豊かで、力のある国が傲慢になるというのは、古今東西変わることのない現象です。ティルスも同じだった。「私は神だ」というのはいかにも古代風の表現方法と思われるかも知れませんが、今だって、大国と呼ばれる国々には同じような驕りがあるのではないでしょうか。あるいは、もはや大国でもないのにその幻影に取り憑かれて他国を見下すようなケースもあるのかもしれません。
神は、ティルスの傲慢を放っては置かれませんでした。「漕ぎ手があなたを大海原に連れ出したが、海の真ん中で、東風があなたを打ち砕いた」(27:26)というのは、何らかの海難事故なのでしょうか。あるいは海戦での敗北でしょうか。いずれにしてもそれは裁きの始まりでした。「それゆえ、主なる神はこう言われる。あなたは自分の心を神の心のように思っている。それゆえ、私は諸国民の中で最も凶暴な他国の民をあなたに差し向ける。彼らはあなたの知恵の美しさに向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、穴に下らせる。あなたは海のただ中で刺し貫かれて死ぬ」(28:6~8)。
驕れる者は久しからずと、日本でも古来言われます。満月のように欠けた所のない「我が世」もいずれは必ず滅びます。しかし私たちはそれを単に歴史の教訓として覚えるだけではなく、国家権力が神の前に「私こそ神」と言ってのける化け物にならないように、監視せねばなりません。あるいは、もはやそう言ってはばからないのであれば、その罪を指弾しなければなりません。
28:25以下にイスラエルの救いが預言されています。イスラエルも、やはり自分自身を神とするような過ちを重ね、裁かれました。同じ罪を負っています。しかしその裁かれ、くずおれ、弱った葦のような者を、神は救ってくださるお方です。神はへりくだった者の神です。謙って神を礼拝することこそ、私たちの最高の幸いだからです。主の御前に身を低くし、我が身は衰え、このお方は栄えるべきだと、私たちは御前に賛美を献げて、今日の日に出て行きましょう。