姦淫してはならない。(出エジプト記20:14)
夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。(1コリント7:3)
姦淫というと、浮気や不倫という言葉とすぐに結びついて考えられます。しかし単にそれだけではなく、聖書はもっと積極的にこのことを考えているように思います。
今日私たちに与えられている新約聖書の御言葉はこのように言っています。「夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。」蔑ろにしない。ここに引用したのは、日本語版ローズンゲンの編集者がドイツ語の聖書から日本語に翻訳したものです。同じ箇所の聖書協会共同訳を見てみると、この「蔑ろにする」というところは「義務を果たす」と訳されていました。「夫は妻に対して、同様に妻も夫に対してその義務を果たしなさい。」前後の脈略を読むと、明らかに、夫婦の肉体的な関係を正当な理由なく減らしてはならない、という意味です。肉体の交わりを一方が自分勝手に減らしてはならない。そのように言うのです。聖書にそんなことまで書いてあるのか、と思うほどの言葉ではないでしょうか。
夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。(1コリント7:3)
姦淫というと、浮気や不倫という言葉とすぐに結びついて考えられます。しかし単にそれだけではなく、聖書はもっと積極的にこのことを考えているように思います。
今日私たちに与えられている新約聖書の御言葉はこのように言っています。「夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。」蔑ろにしない。ここに引用したのは、日本語版ローズンゲンの編集者がドイツ語の聖書から日本語に翻訳したものです。同じ箇所の聖書協会共同訳を見てみると、この「蔑ろにする」というところは「義務を果たす」と訳されていました。「夫は妻に対して、同様に妻も夫に対してその義務を果たしなさい。」前後の脈略を読むと、明らかに、夫婦の肉体的な関係を正当な理由なく減らしてはならない、という意味です。肉体の交わりを一方が自分勝手に減らしてはならない。そのように言うのです。聖書にそんなことまで書いてあるのか、と思うほどの言葉ではないでしょうか。
姦淫ということを考えたときに、浮気や不倫をしなければいい、つまりほかの人と関係を持たなければ良いということだけを考えているのではない。もっと積極的に、夫は妻に対して、妻は夫に対して、その関係を良いものとするというメッセージなのではないでしょうか。それは、神がこの人との関係を与えてくださったということです。神がこの人との間にいてくださる、ということです。肉体も心もすべてを含めたトータルな存在として夫婦が共に生きる。その関係を尊ぶということと神を信じて生きるということとは別々のことではない。そのように言っているのだと思います。