2019年11月19日火曜日

2019年11月19日(エゼキエル書39〜40)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書20:1~18、エゼキエル書39~40

エゼキエル書39~40;
私はわが聖なる名を、わが民イスラエルの中に知らせ、二度とわが聖なる名を汚させない。こうして、諸国民は私が主であり、イスラエルの中の聖なる者であることを知るようになる。それは到来し、実現するーー主なる神の仰せ。これは、私が語った日である。(39:7~8)

マゴグのゴグに対する言葉が第38章から語られています。ゴグというのは実在する国の名前ではありません。しかしイスラエルを滅ぼす力を持つ存在として語られています。このゴグを通して、イスラエルに対する神の裁きが下される。冒頭のエゼキエルを通して語られた神の言葉の中に「これは、私が語った日である」とありました。ここに出てくる「日」というのは、第7章7節に出てきた「日」のことです。「この地に住む者よ、あなたに運命の時が来た。その時が来た。その日が近づいた。それは混乱であって、山々の喜びの声ではない。」神の裁きの日のことです。第39章では、ついにその日が来たと言われています。具体的には、第二回バビロン捕囚のことであろうと思います。イスラエルの破滅と滅亡の日。その裁きの日を通して、神の聖なるお名前の、その聖さが示されると言われているわけです。
ここでの急所は、神様のお名前の聖さが、徹底的な裁きを通して示されるという点です。「私はわが栄光を諸国民の中に現す。諸国民は皆、私が行った裁きと、彼らの中に置いたわが手を見る。その日から後、イスラエルの家は私が主、彼らの神であることを知るようになる」(21節)。これは、裁きを通して明らかになることです。第7章で言われていたとおり、その日は裁きの日であって、山々が喜ぶ日ではない。まことに厳しいことですが、歴史の現実はまさしくイスラエルの滅亡へと進んでいきました。
しかし、大逆転が起こります。「それゆえ、主なる神はこう言われる。今や私はヤコブの繁栄を回復させ、イスラエルの家すべてを憐れみ、わが聖なる名のために妬みを起こす。彼らが自分の土地に安らかに住み、脅かす者がいなくなるとき、自分の恥辱と私に対して犯したすべての背信の罪を負う。私が彼らをもろもろの民の中から帰らせ、敵の地から集めるとき、私は多くの国民の前で、彼らを通して、自らが聖なる者であることを示す」(25~27節)。かつては、イスラエルの家への裁きによって、神の御名の聖なることが示されました。神を蔑ろにし、その名を汚し、侮ってきたからです。しかし、今や同じその御名が、イスラエルへの救いによって示されます。罪と死の中に裁かれた者を救うことによって、神の御名の聖なることが現される。驚くべきことです。しかしこの驚くべきことが現実に起きました。何よりもそれが明らかになった出来事こそ、キリストの出来事に他なりません。私たちのための救いが、今や来ているのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...