2019年11月20日水曜日

2019年11月20日(エゼキエル書41〜42)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書20:1~18、エゼキエル書41~42

エゼキエル書41~42;
エゼキエルは幻の内に新しい神殿を見ます。神殿、それは、イスラエルの民の信仰の中心でした。かつてダビデが建築したいと願ったが許されず、その息子ソロモンが7年の歳月をかけて完成させました。それ以来人々の祈りの家として、その信仰の中心にありました。ところが、第二回バビロン捕囚で王国が滅亡したとき、この神殿もまた失われてしまいました。そのことについて、エゼキエルは、第10章で主の栄光が神殿を去ったという仕方で描いていました。
この神殿が以下に大切なものだったのかは、捕囚後のことを考えてもよく分かります。ネヘミヤが捕囚解放後に従事したのは、神殿の再建でした。これから読むことになる預言者の中にも、主の神殿の再建にかかわる言葉を語った者がいます。あるいは、主イエスの時代にも、人々の祈りの家として、神殿は重要な位置を占めていました。しかし紀元70年頃に神殿は再び、今度はローマ帝国の手で崩壊します。新約聖書の諸文書には、この歴史の出来事が前提になって書かれているものが少なくありません。このようなことを考えてみても、イスラエルの侵攻にとって、神殿がいかに大切な存在であったのかがよく分かります。
エゼキエルは、神殿の幻を見ました。この神殿はソロモンが造った神殿とも、捕囚帰還民たちが造った神殿とも違います。どうやら、サイズも大きいようです。「彼が神殿を測ると、長さは百アンマであり、神域と別殿とその壁とで、長さが百アンマであった。神殿の東の正面と神域とで、その幅も百アンマであった。彼が神殿の背後にある神域に面した別殿と両側の回廊の長さを測ると、百アンマであった」(41:13~15)。百アンマというと、おおよそ45メートルほど。列王記上6:2によれば、ソロモンの神殿は長さ60アンマ、幅20アンマというので、大きさは随分と違います。それに、このところに書かれているところでは、この神殿の建築様式は、シンメトリーで、極めて幾何学的なようです。ある理想化された建物の姿であるのではないかと思います。
つまり、エゼキエルが見た新しい神殿の幻は、人間が自分たちの地からで造ることのできないものであった、ということであろうと思います。理想的な神殿像。美しい建造物。神様にしか造れない。そういう新しい神殿によって示されるのは、神様の聖なることです。そこで働くレビ人も祭司も、聖なる主に仕えます。礼拝する者は、聖なる方の御前に進み出ます。私たちが礼拝しているお方は、この同じ聖なる方です。私たちの造った建物では納めてしまうことができない、聖く、美しく、広いお方。そのお方の御前に出て礼拝する私たちを、神はご自身の神殿としてくださいます。驚くべきことに、神は、私たち信じる者の間に宿ってくださるのです。

2024年4月20日の聖句

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