2020年5月9日土曜日

2020年5月9日(ルカによる福音書11:29〜54)

ルカによる福音書11:29~54
「あなた方ファリサイ派の人々に災いあれ。」「あなたがた律法の専門家にも災いあれ。」主イエスがこのようにおっしゃったとき、どういう気持ちだったのでしょうか。怒っておられたのでしょうか。そうなのだろうと思います。嘆いておられたのでしょうか。そうなのだろうと思います。読むと、胸が苦しくなる箇所です。
主イエスは、本当に激しい言葉で偽善を告発します。「杯や大皿の外側は清めるが、自分の内側は強欲と悪意で満ちている。」外側というのは、人の目に見える部分ということでしょう。そういうところの見栄えばかり気にして、肝心の食べ物がのる内側を清めようとしないと言われます。「あなたがたは、ミント、コヘンルーダ、あらゆる野菜の十分の一は献げるが、公正と神への愛をおろそかにしている。これこそ行うべきことである。もっとも、十分の一のささげ物もなおざりにはできないが。」そして、尊敬されること、重んじられることを好んでいるあなたたちに災いあれと断罪します。
律法の専門家に対しては、「あなたがたは、人には背負いきれない重荷を背負わせながら、自分ではその重荷に指一本も触れようとしない」と指摘します。そして、旧約の預言者たちを殺したのは、お前たちの偽善だと告発しています。
この言葉を聞いて、「律法学者たちやファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、イエスの言われたことをあれこれ口に出しては、何か言葉尻を捕らえようと思っていた」のでした。私は同じ立場だったら、まったく同じようにしたはずです。
主イエスがここまで激しい言葉で、厳しく断罪しておられるのを聞くと、本当に辛い気持ちになります。どうしたらいいのか分からなくなります。29から32節を読むと、主イエスは、やはりここで悔い改めを求めておられるのだと思わされます。主の言葉に聞き、悔い改めて神のもとに帰ることを、主は求めておられるのだと思います。私の偽善を主は嘆いている。この私に向かって、偽善を捨てて神のもとへ帰れと呼んでいてくださる。私は自分の意地も怒りも脇に置いて、主イエスの招きに応えたい。そう願いながら、罪にしがみついている現実がある。だから、主も、ここまで激しく感情をむき出しにしておっしゃっているだと思います。自分に固執して神のもとに帰ろうとしない災いに、私が気づいていないから。主の招きに、主の憐れみが込められている。そのことを信じて、進み出たいと願います。

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