2020年7月18日土曜日

2020年7月18日(ヨハネによる福音書5:19〜47)

ヨハネによる福音書5:19~47
「よくよく言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何もすることができない。父がなさることは何でも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。」
ヨハネによる福音書の大切な主題は、主イエスが子なる神であること、父なる神様と一つであることです。御子イエスがなさることは父がお命じなったこと、父の御心のままに行動しておられるのだ、と主イエスは言われます。そうであるならば、主イエスがなしておられる父の御心とは一体何か、ということが問題になります。何でしょうか?
主イエスは言われます。「父は裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。」子は人の子だからである、と言います。「人の子」という表現は、福音書で主イエスがご自分を指すときによく口にする言い回しです。珍しい言い方です。子は人の子だから、父は子に裁きの権能を与えた。そう言われても、意味がよく分かりません。どういうことなのでしょうか。
これは旧約聖書のダニエル書に登場する言い回しです。「私は夜の幻を見ていた。見よ、人の子のような者が、天の雲に乗って来て、日の老いたる者のところに着き、その前に導かれた。この方に支配権、栄誉、王権が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちすべては、この方に仕える。その支配は永遠の支配で、過ぎ去ることがなく、その統治は滅びることがない」(ダニエル7:13~14)。このように、人の子に「日の老いたる者」から統治の権威を与えられます。「日の老いたる者」というのは、明らかに神様を指しています。神が人の子に権威をお与えになる。ここを読むと、先ほどのヨハネによる福音書がダニエル書と同じ事を言っていたのだと気づきます。「父は裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。」
それでは、主イエスはいかなる裁きをなさるのか?「よくよく言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。」イエスの裁きは、ご自分を信じる者に命を与えるための裁きです。そして、その裁きは主イエスが勝手にしていることではなく、神様の御心に従っての裁きです。つまり、神様は私たちが命を受けることを望んでいてくださる、ということに他ならないのです。だから、主イエスは、私たちに命を得させようとする神の御心を信じてほしい、そのために私たちのところへ来たイエスを信じてほしいと訴えておられるのです。私たちの今日というこの日への神の御心は、私たちがキリストを信じ、永遠の命に生きる一日を歩むことです。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...