2020年7月17日金曜日

2020年7月17日(ヨハネによる福音書5:1〜18)

ヨハネによる福音書5:1~18
「この人は立ち去って、自分を治したのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのため、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。」
新約聖書には四つの福音書が収められています。それぞれに視点が異なっています。ちょうど、日経新聞、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の四紙の視点が異なるのと同じです。イエス・キリストを紹介するという目的は同じです。しかし同じニュースの取り上げ方にそれぞれの新聞の特徴が出るのと同じで、福音書それぞれの個性があります。特にヨハネによる福音書が独特の個性を持っていることは一読すれば明らかです。しかし、どんなに個性があろうとも共通していることがあります。例えば、クリスマスの出来事を書いている福音書とそうではない福音書があります。しかし、主イエスの十字架の死、そしてその三日目に復活して墓が空になったことはすべての福音書が伝えています。今日の箇所では、主イエスが安息日に病人を癒やしたことがユダヤ人に憎まれ、迫害される原因になったと伝えています。この安息日を巡る問題は四つの福音書に共通したメッセージです。それだけに、非常に大きなインパクトがある事件であり、また、福音書記者たちがとても重要視した事実だったということであろうと思います。
ヨハネは「イエスが安息日にこのようなことをしておられたから」、迫害が始まってと伝えています。「このようなこと」とは、安息日に、38年間病気で苦しんでいた人を癒やし、その人に「起きて、床を担いで歩きなさい」と言われた。安息日には、長い距離を歩くことはできません。そして、荷物を運ぶことも許されていない。床を担いで歩くことは律法の定めるタブーでした。そのタブーをこの病人に犯させた者として、イエスは憎まれたのです。
そのような振る舞いをした理由を、主イエスご自身が説明しています。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ。」この言葉を聞いて、ユダヤ人はますます怒り、イエスを憎みました。「イエスが安息日を破るだけでなく、神を自分の父であると言い、自分を神と等しい者とされたからである。」この辺りから、ヨハネの独自色が強くなってきます。主イエスが安息日の戒律を(表面的に見たら)破っているのは、実は父なる神ご自身が働いておられるからであり、主イエスは父と等しい方だから、同じように今働くのだ、と言われます。ヨハネによる福音書はこのようにして、父と等しい方としての主イエスを私たちに紹介していくのです。

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...