2020年7月22日水曜日

2020年7月22日(マタイによる福音書24:1~28)

マタイによる福音書24:1~28
イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
主イエスがここで言われたことは、繰り返し繰り返し、世界の歴史の中で見られました。戦争があり、不法がはびこって愛が冷え、飢饉や地震といった天変地異に苦しみ、あるいは迫害がありました。どれ一つをとっても恐ろしい言葉ですが、今も、私たちが目にし続けているところでもあります。今だって、コロナに便乗した偽預言者の類いはそこかしこに現れている。主イエスが「愛が冷える」と指摘したとおり、この社会には怒りが充満し、寛容さは失われ、役に立たない者は捨てられています。しかし、それが世の終わりのしるしではありません。
私たちキリスト教会は、そういう苦しみの時代にあって、未来を予告して脅かしたり、人々を怯えさせて宗教商売をしたりはしません。許されないことです。主イエスは、私たちに御国の福音を託されました。御国の福音、それは、心の貧しい者の幸いであり、悲しむ者の幸いです。私たちがどんなに失敗し、捨てられ、役立たずであっても共にいてくださる神の福音です。私たちは、この時代にあって、主イエス・キリストの福音を宣べ伝え、それだけにすべてをかけます。
明らかに、ここ数年で、これまでの何十年かの世界秩序は変化していました。安心・安全の時代は終わりました。あるいは、不都合な事実を隠蔽した上で成り立たせていた安心・安全だったものが、不都合な事実を隠蔽しきれなくなった、ということであるのかも知れません。コロナがそれを加速させたのかも知れませんが、もともと世界が抱えていた問題が露呈したと言うべきでしょう。今世界で起こっている出来事は、私たちの愛が冷えるという事実であり、それは、私たちが神様を蔑ろにしたことに根を持っています。だから、御国の福音が必要なのです。キリストの愛が必要なのです。共にいてくださる神でなければ、私たちと共に苦しむ神でなければ、私たちは救われないのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...