2020年7月24日金曜日

2020年7月24日(マタイによる福音書25:1〜30)

マタイによる福音書25:1~30
「だから、目を覚ましていなさい。あなたがはその日、その時を知らないのだから。」
私たちには、主イエスがいつおいでになるのか分かりません。トルストイの「靴屋のマルチン」という有名な童話があります。(原題は「愛あるところに神あり」というそうです。)この童話では、雪かきをしているおじいさん、赤ちゃんをあやしている女の人、リンゴ泥棒の少年として、主イエスがこの靴職人のマルチンのところに来られた、と言います。この話のポイントは、マルチンには主がいつ、どのようにお出でになったのかが分からなかったというところであると思います。私たちには分からないのです。いつ、主イエスが私たちのところへ来られるのか。
この小さな童話が指し示しているような、日常の生活の中に来てくださるキリストと同時に、大いなる終わりの日にキリストをお迎えするということにも私たちは備えます。それがいつなのか、どのような形なのかを私たちは知りません。
10人の乙女たちは、今でいえばブライダルメイドのように新郎新婦に付き添ったのでしょう。当時の結婚式は夜行われていたので、灯を準備して花婿を待ちます。花婿から見ると、真っ暗闇の中を花嫁がいる家に向かっていくと、ぼんやりと明かりに照らされた家がある。それが、おとめたちが灯を準備して待っている家です。このたとえ話のイメージは、そういう、暗闇の中の光のイメージであると思います。
もしも主イエスがお出でになったとき、私たちの手もとに灯があるのなら、何と幸いなことでしょうか。花婿は喜んで花嫁のもとへ行きます。主イエスは、それよりもなおのこと喜び、楽しみにして、私たちのところへ来てくださいます。私たちに灯の準備はあるでしょうか。いつ、主がこられるのかは私たちには分かりません。しかし、いつでもお迎えできるように、灯の準備をしておきたいと思います。
灯とは一体何か。いろいろな言い方で言えると思います。祈りであるのかもしれません。御言葉に傾ける耳とそれに従う足であるのかも知れません。祈りや御言葉に促された始まる愛の生活であるのかも知れません。主イエス・キリストは、私たちのところへ来てくださっています。私たちを喜んで迎えるために。私たちとの結婚を待ち焦がれる花婿のような重いで、主イエスが来てくださる。私たちはそれを待ち望むのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...