2019年2月10日日曜日

2019年2月10日(出エジプト記19〜20)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙1、出エジプト記19~20、詩編47~48

出エジプト記19~20;
十戒が与えられます。その前後で、イスラエルの人々が大きな恐れに包まれたことが、丁寧に語られています。「民は皆、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音と山が煙るのを目の当たりにした。民は見て震え、遠く離れて立ち、モーセに言った。『あなたが私たちに語ってください。そうすれば私たちは聞き従います。しかし神が私たちにお語りにならないようにしてください。私たちが死なないためです』(20:18)」。また、神様ご自身が「民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、服を洗わせ、三日後に合わせて準備させなさい(19:10)」と言って、十戒を頂く日、すなわち神様の御前に進み出る日を特別に区別しなさいと言われます。
この恐れの感覚は、神を信じるものにとってはとても大切なものであると思います。私たちも、毎週日曜日に神様を礼拝して、神様の御前に進み出ています。イスラエルの人々があれだけ恐れた神様の御前に、私たちも進み出ている。そのための準備の時も、大切にしたいと思います。
日曜日の礼拝のための準備は、土曜日にもう始まっています。土曜日というドイツ語はゾンアーベントと言います。ゾンは英語のサンデーのサンにあたる言葉、アーベントは夜という意味です。日曜日の夜が、私たちの土曜日の夜にもうすでに始まっていることではないかと思います。土曜日を日曜日にそなえるために聖別する。あるいは、日曜日の朝、礼拝に来たとき、礼拝堂で心を静めて礼拝を待つということも大切です。慌ただしい日常の業をすべて中断し、神様の御前に安息日を覚え、これを聖別するのです。この日が主の安息日だからです。私たちは、私たちを救ってくださった神様の御前に集まっているのです。

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