2019年2月9日土曜日

2019年2月9日(出エジプト記17〜18)

今日の通読箇所:マタイによる福音書28、出エジプト記17-18、詩編46

出エジプト記17〜18;
今朝の旧約聖書の御言葉では、エジプトを出て旅を始めたイスラエルの人々が、少しずつ、神の民として成長していく様子が描かれています。始まりは、民の不満です。昨日もそうでしたが、ここでも、水がないことに不満が噴出します。15:22-27では荒れ野でやっと見つかった水が苦いという不満でしたが、ここでは、水そのものがないと言っています。「私たちをエジプトから上らせたのは何のためだったのですか。私たちや子どもたちや家畜を渇きで死なせるためだったのですか(17:3)」。
あるいは、第18章に入ると、たくさんの人がモーセの所へ相談に詰め寄っていました。モーセの舅はその様子を見て驚き、民の中から有能な人を選んで民を裁かせるようにアドバイスします。「こうしてあなたの負担を軽くし、彼らもあなたと共に分担するのです(18:22)」。
神の民は、いつの時代でも、たくさんの問題や課題を抱えているものなのかもしれません。荒れ野を旅するイスラエル人たちも何回も何回も同じような不満を口にし、そのたびに悔い改め、少しずつゆっくりと成長していきました。私たちと同じなのです。
そんなときに、彼らはアマレクと戦いました。モーセはイスラエルを祝福するために、丘の頂に立ちます。おもしろいことが書いてあります。「モーセが手を上げているとイスラエルが強くなり、手を下げているとアマレクが強くなった(17:11)」。これを読んで、ああ私たちのことだなと思います。私たちはいいときも悪いときもあり、信仰的であったり不信仰であったりします。そんな私たちの毎日は、しかし、神ならぬものとの戦いです。私たちを神から引き離そうとする悪の力との戦いの毎日です。その戦いを勝ち抜くために、私たちのための祝福の手が上げられているのです。「それからイエスは、彼らをベタニアまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた(ルカ24:50-51)」。この祝福の手は、今も上げられています。私たちのために!

2026年1月30日の聖句

主は民に答えられた。 「私は穀物と新しいぶどう酒 また新しいオリーブ油を送り あなたがたを満ち足らせる。」(ヨエル書2:19) イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、感謝し、パンを裂き、それを弟子たちに分配するようにと渡され、二匹の魚も皆にお分けになった。人々は皆、食べて満腹した。...