2019年2月18日月曜日

2019年2月18日(出エジプト記35〜36)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙8:18~39、出エジプト記35~36、詩編56

出エジプト記35~36;
新しい石の板を持って山から下りてきたモーセ。彼が最初にイスラエルの人々に命じたのは、安息日のことでした。「これは主が行うように命じられたことである。六日間は仕事をすることができる。しかし、七日目はあなたがたにとって主の聖なる、特別な安息日である。・・・あなたがたの住まいのどこであっても、安息日には火をたいてはならない(35:1~3)」。火をたいてはならないということは、料理をしてはいけないということでしょう。最も基本的な日常生活を中断しなさい、ということであろうと思います。もちろん、今、私たちは日曜日だからといって料理をしないわけではありません。むしろ、教会では食卓を囲む時間を大切にしています。新約の時代に生きる私たちなりの安息日の過ごし方があるのだと思います。しかし、その精神は変わらない。私たちは毎日の生きるための営みを中断して、その時間を神様に献げて、神の安息にあずかる聖なる日を一週間に一度過ごすのです。
その次にモーセが言うのは、神様へのささげ物のことでした。「これは主が命じられたことである。あなたがたの持ち物の中から主への献納物を取りそろえなさい。心から進んで献げる人にはすべて、主の献納ぶつとして次のものを携えて来させなさい。・・・(4~5節)」。そして、それに応えて心から進んで献げてものによって、礼拝の準備がなされました。時間を献げ、生活の資を献げることで、人生のすべてが神への礼拝であることが明らかになったのです。私たちの献げる礼拝は、ここに始まっています。

2025年1月15日の聖句

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