今日の通読箇所:ガラテヤの信徒への手紙5、イザヤ書11~13
イザヤ書11~13;
「エッサイの株から一つの芽が萌え出で、その根から若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と分別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れる霊。彼は主を畏れることを喜ぶ。その目の見えるところによって裁かず、その耳の聞くところによって判決を下さない。弱い者たちを正義によって裁き、地の苦しむ者たちのために公平な判決を下す(11:1~4)」。
エッサイはダビデの父の名前ですから、エッサイの株というのはダビデ家から、ということになります。ダビデの子孫から一つの芽が萌え出てくる。しかも、それは「株から」と言っているので、もう切り倒されたものから、ひこばえのように新しく芽吹くというイメージなのでしょう。
イザヤや同時代の人に見えていたダビデ家の現在の王は、神に従うことなく、却って国民を神から引き離すような振る舞いをしていました。従って、この預言の言葉は、現在はそうではないものを希望する、信仰に属する言葉に他ならないのです。
そうして萌え出る新しい芽は、主の霊に満たされます。主を畏れ、弱い者、地の苦しむ者を公平な裁きと判決によって守ってくれます。これも、私たちの待ち望む救いの現実です。今も、この点で私たちの社会が病んでいるからです。
このような裁きが起こる世界を、生き生きとした言葉で言い表しています。「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛と若獅子は共に草を食み、小さな子どもがそれを導く(6節)」。自然な世界であれば食う者と食われる者という関係ですが、主の平和が実現するところでは、両者が共存することができる。小さな子どもがそれを導くことができる。このような平和を、私たちは待ち望んでいます。この平和の肝を、このように言い表しています。「私の聖なる山のどこにおいても、害を加え、滅ぼすものは何もない。水が海を覆うように、主を知ることが地を満たすからである(9節)」。主を知り、畏れ敬い、造られた者たちが共に生きる。それを導く一つの芽が、私たちを平和に導いてくださるのです。
2026年1月30日の聖句
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