2025年1月18日土曜日

2025年1月18日の聖句

そこで今日あなたがたは、上は天においても下は地においても、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知って、心に留めておきなさい。(申命記4:39)
あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。(フィリピ4:5,7)

神さまは本当に私たちには計り知れない、大きくて、偉大なお方です。「あらゆる人知を超えた神の平和」と使徒パウロは言います。神さまの御心は、私たちの持つ浅知恵など遙かに超えて大きく、広い。「そこで今日あなたがたは、上は天においても下は地においても、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知って、心に留めておきなさい。」
ところが、私たちはすぐに神さまを自分の枠に押し込めて、自分の理解しやすいように小さくしてしまいます。自分があらかじめもっている宗教観とか、自分にとって理解しやすいイメージとか、そういう聖書と関係なく自分が持っている理解の中に神さまを押し込めてしまう。「主こそ神であり、ほかに神はいない」という聖書の言葉を真剣に受け止めない。
そうしたときに何が起こるのか。「あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい」と書いてあります。この「寛容」という心が失われる、ということであると思います。このことは意外に感じるかもしれません。「主こそ神であり、ほかに神はいない」などと言っている方が狭くて不寛容だと聞こえがちです。しかし、この世界のすべてを造り、愛をもって支配しておられる神を信じ、この神の手の慈しみを信じてそこにかけることは、真の寛容に開かれた信仰だと私は信じています。この神は、すべての人のためにご自分の独り子をお与えくださったのですから。
「あらゆる人知を超えた神の平和」と聖書は言います。私たちの知恵を超えたお方がくださるのは、平和です。神の平和、キリストの平和によって私たちは生きることが許されている。キリスト・イエスを信じ、このお方に現された神の愛を信じて、寛容に生きたいと願います。

2026年2月2日の聖句

イスラエルの子らが主に叫び求めたとき、主はイスラエルの子らのために一人の救済者を起こして、彼らを救われた。(士師記3:9) ですから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。(ヘブライ10:35) 士師記は、カナンの地に定住し始めた神の民にまだ王がいな...