今日の通読箇所:ガラテヤの信徒への手紙6、イザヤ書14~15
イザヤ書14~15;
昨日の箇所ですが、13:1に「アモツの子イザヤが見たバビロンについての託宣」とあります。さらに14:25には「アッシリア」が出てきます。そして29節は「ペリシテの全土よ、あなたを打った杖が折られたからといって喜んではならない」と書かれています。イザヤ書の中でも、この辺りからしばらくは他の国々への預言の言葉が連なっている箇所ということになります。預言者は、ただイスラエルやユダの人々にだけ言葉を語ったのではなく、イスラエルやユダといろいろな形で関わっていた諸国にも語りかけました。神様の手が、信じる者にだけ伸ばされているのではなく、そうではない者にも関わっているからです。今、教会にも、教会を取り囲む社会に対して語りかける言葉が託されている、ということなのではないでしょうか。
「しかし、主はヤコブを憐れみ、再びイスラエルを選び、彼らの土地に住まわせる。寄留の民も彼らに加わり、ヤコブの家に連なる(14:1)」。この世界に言葉を向けるといったとき、一体何を話すのでしょうか。ここで預言者イザヤが語るのは、あくまでも神との関わりを問う言葉です。神が、ヤコブを憐れんでおられる。そのようにバビロンに語りかけています。ただし、それは自分たちへの神の庇護を確認して自分たちを慰めるということではありません。自分たちだけは神から選ばれ、愛されているというナショナリズムをあおろうということではありません。「寄留の民も彼らに加わり」と言います。寄留の民というのは、今で言えば移民や難民です。もともと違うナショナリティを持ち、違う文化で育ってきた人たちです。社会の中では異質な存在です。しかし、異質な者を包摂する民を、神は起こそうとしてくださっている。預言者はそう言うのです。
これは、今、私たちが改めて確認するべき福音です。異なる他者と共に生きる神の民。教会こそ、そのような民でありたい。今朝、改めてそのように願います。
2025年1月18日の聖句
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