今日の通読箇所:ガラテヤの信徒への手紙4、イザヤ書9~10
イザヤ書9~10;
「主は御言葉をヤコブに送り、イスラエルに下された。この民、エフライムとサマリアに住む者は皆、それを知りつつも、高慢と尊大な心で言った。・・・。(9:7~8)」
この章では神様の厳しい裁きが語られていきますが、それは、逆らう者を懲らしめてやろうというような「罰」ではなく、「私のもとに立ち返れ」という神ご自身の悲痛な招きであるように思います。それにもかかわらず、神の民は、耳を傾けようとはませんでした。高慢と尊大な心に支配されてしまいました。「民は自分を打った方に立ち帰らず、万軍の主を求めようとしなかった(8節)」。 「確かに、悪は火のように燃え、茨とあざみをなめ尽くす(17節)」。神を蔑ろにし、社会の中では寡婦や孤児のような弱者を食い物にし、正義は曲がり信仰は歪んでいました。
それは、恐らく、イザヤの時代も、今も、変わることのない人間の姿なのであろうと思います。イザヤ書を読んで社会に蔓延していたであろうと推測される問題は、戦争や同盟、貧富の格差の拡大と固定化、社会的不正義の横行などであろうと思います。今の社会もほとんど変わりがない。その根は、預言者が指摘するとおり、神様を知ろうとしないことであるに違いないのです。
ですから、私たちは神に救って頂くのでなければ、もはやどうにもならないのではないでしょうか。「闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。死の影の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた(9:1)」。私たちが生きている場所は闇であり、死の影の地。しかし、今いるのがそういう場所だったのだと気づけるのは、そこに大いなる光が差し込んできているからです。「一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し、平和には終わりがない(9:5~6)」。この一人のみどりごこそが私たちに指した大いなる光、神が与えてくださった救いの輝きです。私たちは、今、その光の中にいます。
2025年1月18日の聖句
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