2019年11月3日日曜日

ヨハネによる福音書第1章1から5節「光は暗きに照る」


 今日からこの礼拝ではヨハネによる福音書の御言葉に聞きます。この福音書は4つの福音書の中でも、あるいは新約聖書の中でも、独特の位置を占めていると思います。他の三つの福音書とずいぶんと違う味わいを持っています。しかし、しようとしていることは同じです。イエス・キリストを紹介する。その一事に集中しているのです。ですから、私たちも、キリストを紹介することによって伝道の業に励みたいと願っています。
 ヨハネによる福音書の独特さは、一つにはやはり今朝のこの冒頭の部分にあると思います。哲学的で抽象的な、難しい議論をしていると思う方も多いかも知れません。しかし、この福音書は書斎で宙に浮いた議論をして生まれたのではありません。この福音書はおおよそ起原90年かそれ以降に生まれたと考えられています。その根拠は、例えば10:34で「彼を外に追い出した」とありますが、この福音書には主イエスや主を信じた者が追い出されるという描写が度々出てきます。これは90年頃から、キリスト者達がユダヤ教の会堂から追放されたという状況を反映した描写ではないかと考えられます。会堂から追い出されると、ユダヤのコミュニティから村八分にされるということになります。それだけではなく、ユダヤ教は当時はローマ帝国の公認の宗教でしたので、そこから追い出されるというのはローマからも危険視されることになります。そういう状況下で、御言葉を聞いたのです。「光は暗闇の中で輝いている。」最初にこの言葉を聞いた人びとは、誰も哲学的で抽象的な話だなどとは感じなかったと思います。ありありと、自分たちの状況が聖書の中に描かれていると考えたのではないでしょうか。そして、それは私たちも同じではないでしょうか。
 この福音書を書いたヨハネと彼の教会も、この福音書を読んだ教会も、同じく礼拝共同体でした。聖書の学者たちは異口同音に指摘します。今朝の1から5節は、当時の礼拝で歌われていた讃美歌だったのではないか、と。礼拝で聞いていた言葉だったと言うのです。そうすると、その賛歌の出典は明らかに創世記第1章です。神は、万物を御自分の言によってお造りになりました。光も、天と地も、海と大地も、植物も、太陽や月、星々も、鳥も魚も、動物も人間も、すべては神の語りかけによって生まれました。最初、地は混沌としていた。しかし神が語りかけて、光を初めとする秩序が生まれました。この世界は、神の言によって生まれました。言葉ではなく言と書いてあります。知恵や理という意味もあります。葉っぱのように薄っぺらくなく、風に飛ばされるものではない。この世界は神の言で造られた。それは、どんなに世界が混沌でも、闇に包まれていても、無意味ではないということです。私たちの人生の持ち場は、しばしば混沌とします。私たち自身が闇であるかのようにしてしまうこともあります。あるいは、人間としての力を越えた闇が襲ってくることもあります。自然災害にしても、おさえようのない戦争のような人間の巨大な悪にしても。しかし、そのような闇の中で、光が輝いている。その光、命の光は、私たちを照らしています。今も!
 この光の経験、命の経験は、キリストの十字架と復活そのものです。キリストの命の光は私たちを照らしています。混沌そのものであるような私を救うために、キリストという光は輝いています。

2025年1月17日の聖句

誰の道も主の御前に開かれている。(箴言5:21) 主が来られるときまでは、何事についても先走って裁いてはいけません。主は、闇に隠れた事を明るみに出し、人の心の謀をも明らかにされます。(1コリント4:5) 私たちにとって、人を裁くのは快感です。そもそも人が集まって一番盛り上がるのは...