2019年11月26日火曜日

2019年11月26日(ダニエル書3〜4)

今日の通読箇所:ヨハネの手紙一4、ダニエル書3~4

ダニエル書3~4;
「もしそうなれば、私たちが仕える神は、私たちを救い出すことができます。火の燃える炉の中から、また、王様、あなたの手から、救いだしてくださいます。たとえそうでなくとも、王様、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えることも、あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません」(3:17~18)。
ダニエルたち四人が生きていたバビロンで、ネブカドネツァル王は巨大な金の像を造りました。27メートルくらいの高さのようです。そして、役人たちが楽器を鳴らしたら、それを合図に皆ひれ伏してこの像を拝むように命じました。そうでなければ、火の燃える炉の中に直ちに投げ込む、と言うのです。王の命令は、非常に厳しいものでした。皆、それに従って、この金の像を拝んでいた。
こういう話を読むと、今も昔も、起きていることはあまり変わっていないのだと思います。現代社会では、何かの像を拝めという命令が出ることはあまりないかも知れません。しかし、何かが社会の中で神であるかのような振る舞いをし、それを受け入れるように強いる社会の同調圧力は、私たちの社会にもあるのではないでしょうか。
ダニエルの三人の仲間たちはこのとき行政官に取り立てられていました。王の命令も知っていました。ところが、これを無視した。ダニエルたちの出世を妬む者たちが王に密告し、彼らは金の像を拝むことを強いる王の前で申し開きをした。その時の言葉が、冒頭の17~18節です。彼らは、文字通りに命をかけて、王の命令を拒みました。ここに、決して譲ってはならない一線があるのです。ただ神だけを拝み、ひれ伏すこと。その一時については、どんなに同調圧力があり、あるいは権力者の命令が絶対であり、命をかけねばならなくても決して譲れない、と彼らは信じ、そのように生きぬきました。
果たして、神は彼らを守ってくださり、それを見たネブカドネツァル王も神を信じるに至ります。神だけを礼拝して生きるということを貫く彼らの生き方が、異教の王に対しても証しとなったのです。

2024年4月20日の聖句

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