2020年5月12日火曜日

2020年5月12日(ルカによる福音書13:1〜21)

ルカによる福音書13:1~21
「園丁は答えた。『ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。もし来年実を結べばよし、それで駄目なら、切り倒してください。』」
ぶどう園に植えられたいちじくの木の話です。もう三年もそこに植えられていたのに、一向に実を結ぼうとしない。もうこんな木は切り倒してしまえ。園の主人は園丁にそのように言います。
なぜ、ぶどう園にいちじくの木なんて植えてあるのでしょうか。このたとえ話のいちじくの木は、明らかに私たちのことです。主イエスは私たちを、ぶどう園に植えられたいちじくの木だと言われます。いちじくの木が植えられている理由は、主人がいちじくを収穫したいからです。神様は、私たちから他では換えの効かない実りを収穫したいと願っておられる、ということでしょう。
このたとえ話で言われているいちじくの実、私たちから収穫したいと願っている実りというのは一体何のことなのか。1から5節では、悔い改めの話をしています。ピラトによって流されたガリラヤ人の血。彼らが特別に悪い人たちだからこのような災難に遭ったのか。そうではない、と主は言われます。むしろ「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」。主イエスは、私たちが他人事ではなく自分事として、自分の罪を悔い改めることを望んでおられます。私たちといういちじくの木に神が期待しておられるのは、悔い改めの実りなのではないでしょうか。
それは、いつでも気の向いたときで構わないという話ではないのだと思います。「もし来年実を結べばよし、それで駄目なら、切り倒してください」と園丁である主イエスは言われます。その来年の実りのために、園丁は今日からすぐに肥やしを入れてくださるのです。
「主を尋ね求めよ、見出すことができるうちに。主に呼びかけよ、近くにおられるうちに。」今こそ、その時です。今こそ主は私たちに肥やしを与え、実りを結ぶことができるように世話してくださっている。主イエスさまは、私たちに神の言葉という肥やしを与え、ご自身の恵みと慈しみによって私たちを世話してくださいます。

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