2020年8月16日日曜日

2020年8月16日(コリントの信徒への手紙一15:1~28)

コリントの信徒への手紙一15:1~28
「そうだとすると、キリストにあって眠りに就いた人々も滅んでしまったわけです。この世にあって、キリストに単なる望みをかけているだけなら、私たちは、すべての人の中で最も哀れな者となります。しかし今や、キリストは死者の中から復活し、眠りに就いた人たちの初穂となられました。死が一人の人を通して来たのだから、死者の復活も一人の人を通して来たのです。」
この章がこの手紙のクライマックスです。ここでパウロは最も大切なことをもう一度、コリント教会の人々に思い起こしてもらうために、かつてパウロが彼らに直接言ったことを丁寧になぞります。キリストが私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したこと、そして、ケファや12人、そして他の弟子たちに会ってくださったこと。それらはすべて聖書に書かれていることが実現して起きた出来事でした。そして、最後にパウロ自身にも主イエスは出会ってくださいました。そして、その最も大切な事実、キリストの復活が私たちに何をもたらすのか、そのことをパウロは書き記していきます。
死者の中から復活したキリストは、私たち信じる者たちの初穂となられました。キリストが復活したように、私たちもやがて死者の中から復活することになる。キリストの復活はその最初の実り、しるしだとパウロは言います。これが私たちが信じる望みであり、愛の源泉なのです。
しかし死者の復活などと言っても、はっきり言って、聖書に書いてある中でいちばん信じがたい事柄です。他のどんな奇跡よりも、ありえないことです。しかしそのいちばん信じがたいことが最も大切なことであり、もしも「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であり、あなたがたの信仰も無駄になります」とまでパウロは言います。信仰は復活という事実の上に成り立っています。
もしも私たちがこれを無視して「この世にあって、キリストに単なる望みをかけているだけなら、私たちは、すべての人の中で最も哀れな者」です。キリストをどんなに立派な道徳家と思っていいたとしても、例え凄い奇跡を起こした偉大な宗教の開祖と考えていたとしても、それだけではなんてことはない。私たちの死を超える望みにはなりえません。そうではなく、この方の十字架での死と三日目の復活は、この私の死と死を超えた望みに直結している。この私の生き死の望みは、キリストにかかっている。それが聖書のメッセージです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...