2020年9月8日火曜日

2020年9月8日(フィリピの信徒への手紙2)

フィリピの信徒への手紙2
「キリストは/神のかたちでありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わず/かえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ/へりくだって、死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。このため、神はキリストを高く上げ/あらゆる名にまさる名を/お与えになりました。それは、イエスの御名によって/天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが/膝をかがめ/すべての舌が/『イエス・キリストは主である』と告白して/父なる神が崇められるためです。」
これは、この当時の教会の賛美歌ではないかと言われています。新しい翻訳の聖書協会共同訳では分かち書きになっています。今やメロディは分かりませんが、初代の教会が礼拝で歌っていたであろう賛美歌を知ることができるというのは素敵なことです。私たちの今朝の賛美の心を、この賛美歌の言葉にのせて、神様に献げましょう!
主イエス・キリストのへりくだり。誰よりも高く、神の子であり、神ご自身でいらした方が僕になられました。僕の振りをしたとか、人間であることをこの世での仮の姿としたというのではなく、本当に人間の一人、僕の一人になってくださいました。
主イエス・キリストがまことの神の子でいらっしゃる、その神の子らしさ、神様らしさは、このへりくだりの中に発揮されました。主イエスは、そうしようと思えばいくらでもできたはずですが、石をパンに変えてご自分の空腹を満たそうとはなさいませんでした。私たちと同じように無力な人間の一人になられました。キリストは病を知り、肉体の弱さを知り、人間の精神の脆弱さをその身をもって経験なさいました。そういうへりくだったお姿に、キリストの神の子らしさがはっきりと現されています。神様は、高い天にいて私たちをただ眺める方ではなく、私たちのところへ下りてきてくださる方、私たちと連帯し、私たちと同じ苦しみや屈辱を味わってくださる方です。
その方が、従順のゆえに高められ、あらゆる名にまさる名を与えられました。神の右、神の一番近いところにおられます。そうやって、本当に人間らしいというのはどういうことかを示してくださっている。私たちは、神様に向かい、神様の側に生きるときにこそ、本当に私らしく、人間らしく生きることができる。そのことをキリストが身をもって示してくださいました。
キリストこそ、私たちの救いです。キリストこそ、私たちのための神のへりくだりです。キリストこそ、私たちのために神の右にあげられた、まことの人間です。このお方を賛美し、このお方を見つめながら、私たちは今日という一日を生きていきます。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...