2021年6月19日土曜日

2021年6月18日(箴言1:20~33)

箴言1:20~33
知恵は巷で喜び歌い
広場で声を上げる。
城壁の頂で呼びかけ
城門の入り口で語りかけて言う。
「いつまで思慮なき者は思慮のないことに執着し
嘲る者は嘲り続け
愚か者は知識を憎むのか。」(20~22節)

箴言には掛け軸にかけそうな格言がたくさん出てきますし、上掲の引用箇所の最後にあるような言葉がたくさんあって、あるときにはちょっと叱られるような印象がどこかにあることもあります。しかし、今日のところはとっても興味深いと思います。「知恵は巷で喜び歌い」と言っています。知恵が喜び歌っている。新共同訳聖書では「知恵は巷に呼ばわり」と翻訳していました。新しい翻訳では、巷で喜び歌いとなっています。おもしろい翻訳だと思います。知恵が巷で声を上げている。これ自体に興味がわきます。なぜ巷なのか。巷というのは、町の中とか世間とかのことでしょう。町のどこででも知恵が呼びかけている。その声を聞け、と言う。しかもその呼び声は歌声、喜ぶ歌声だ、と言うのです。知恵の怒鳴り声、起こって注意している声ではありません。知恵が喜んで歌う歌声に耳を傾けよう、と言います。素敵なイメージだと思います。
その知恵の最初の呼び声は、ここでは思慮のないこと、嘲ること、知識を憎むことに拘泥するのではなく、知恵の懲らしめを受け入れ、その言葉に聞け、というものです。確かに私たちは変化を好みません。自分を変えなくてはならないというのはしんどいことです。考え方、生き方を変えるのは大変です。あまり物事を考えずにパッとしてしまうこと、厭なことがあったら文句を言って自制したりへりくだったりしないこと、それは楽な道です。しかし知恵ある者の生き方ではない、と箴言は言います。

思慮なき者の背きは自らを殺し
愚か者の安らぎは自らを滅ぼす。
私に聞き従う人は安らかに暮らし
災いを恐れず、安心して過ごす。(32~33節)

私の目に知恵ありと移ることよりも価値があるのは、神さまの知恵に生きることです。神さまの知恵は人間には愚かに映る、十字架のイエスに表されました。へりくだり、自らを空しくする知恵です。神に背くことではなくへりくだることこそが、私たちを生かす知恵です。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...