2021年6月2日水曜日

2021年6月2日(詩編136)

詩編136
主に感謝せよ。まことに主は恵み深い。 慈しみはとこしえに。
神々の中の神に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。
主の中の主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。
ただ一人大いなる奇しき業を行う方に。 慈しみはとこしえに。(1~4節)

私たちが低くされていたとき
  私たちを思い出し 慈しみはとこしえに。
敵から私たちを助け出した方に。 慈しみはとこしえに。
すべての肉なるものに糧を与える方に。 慈しみはとこしえに。
天の神に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。(23~26節)

この詩編は合唱用の讃美歌に違いないと思います。「主に感謝せよ。まことに主は恵み深い」といった上のパートを歌う者。ソリストなのか複数なのか。あるいは神を礼拝するために上ってきた礼拝者たちかも知れません。その賛美に合わせてコーラス部隊が歌うのです、「慈しみはとこしえに」と。あるいはその逆でしょうか。神殿で仕えるコーラス隊が上のパートを歌い、礼拝者たちはその声に合わせて「慈しみはとこしえに」と声を合わせて歌ったのかも知れません。いずれにしても、そのような礼拝の姿を想像するのは楽しいことです。私たちも同じ神さまを礼拝している。同じ神の慈しみをほめたたえ、同じ神の前に膝をかがめているのです。なんとすばらしいことでしょう。
この詩編では、5節から22節までで、神さまが天と地とすべてのものをお造りになり、エジプトから救い出し、荒れ野の旅路を導いて約束の地を与えてくださるまでのことが歌い上げられています。聖書の歴史をそのまま讃美歌にしています。こういう聖書の歴史のことを、「救済史」と呼びます。神さまが私たちを救ってくださる、救いの歴史のことです。救済史を想起し、神を賛美する。
私たちはこの歴史の続きを知っています。やがて彼らは罪に罪を重ねて破滅し、バビロンに連れて行かれ、しかしそこから解放されました。約束の地に帰って神殿を再建し、神を礼拝します。そして、預言者たちが告げた救い主を待ちました。やがて、一人のおとめが身ごもり、生まれた男の子。この方が救い主メシアであって、罪を犯したことがないのに罪人の手にかかって十字架にかけられ、三日目に復活し、天に上り、聖霊をおくって教会を生み出しました。この方は世の終わりまで、私たちと共にいてくださいます。私たちも、救済史の一部を生きているのです。私たちもこの歴史を想起し、神を賛美します。
それは、神が私たちの弱いときに私たちを救ってくださったからです。私たちが強く、見込みがあり、いい人だから救ってくださったのではありません。何の値打ちもない私たちのために独り子イエスを与え、値なく私たちをご自分のものとしてくださいました。この神の慈しみが、とこしえにあなたにありますように。昨日そうであったように今日も、そして明日も。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...