2021年6月3日木曜日

2021年6月3日(詩編137)

詩編137
バビロンの川のほとり
  そこに座り、私たちは泣いた
シオンを思い出しながら。
そこにあるポプラの木々に琴を掛けた。
私たちをとりこにした者らがそこで歌を求め
私たちを苦しめる者らが慰みに
「我らのシオンの歌を一つ歌え」と命じたから。
どうして歌うことができようか
異国の地で主のための歌を。(1~4節)

ユダ国はバビロンという国に滅ぼされました。バビロンは強大な国で、当時の中近東の覇者でした。かつてバビロンがあったのは、現在のイラクの辺りです。ユダ国の主立った者たちは遠くバビロンの地まで強制移住させられました。バビロン捕囚と呼ばれる出来事です。この詩編はそういう捕囚民の祈りの言葉です。
バビロンに流れる川のほとりで、涙を流した。シオンを思い出して。かつて神殿で神を礼拝した日々を、皆で声を合わせて神を賛美した日々を思い出して。しかし今や、この遠い異国バビロンの地では、主を賛美する歌が、支配者の慰みにされています。宴会の芸として披露することを強要されています。何という屈辱・・・何という理不尽。かつての礼拝の日々を思い起こし、何人かの信仰者たちが川のほとりで泣いているのです。
私たちも、日本というキリスト者が超マイノリティの社会に生きていて、どこかで似たような思いをしたことがあるのではないでしょうか。信仰のために恥ずかしい思いを強いられるようなこと、神を信じる真心を馬鹿にされたこと、キリストへの愛を気味悪がられたこと、数えていけばきりがないのではないでしょうか。
バビロンの川のほとりで流された涙を、神は必ず憶えていてくださるに違いありません。私たちも、どんなときにも神を覚え、神の前に生きていきましょう。必ず、神さまは私たちを救ってくださることを信じて。キリストがこの屈辱を共に苦しんでいてくださることを確信して。
今日も、主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように。

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