2021年6月24日木曜日

2021年6月24日(箴言6)

箴言6
主の憎むものが六つ
心からいとうものが七つある。
高ぶる目
偽りを語る舌
無実の人の血を流す手
悪だくみを耕す心
急いで悪に走る足
虚偽を語る偽りの証人
兄弟の間に争いを引き起こす者。(16~19節)

この章はとても具体的な知恵の言葉がたくさんあって、とてもおもしろいところだと思います。1節以下は、友の保証人になって責任を負わねばならず、大変な目に遭ったらどうしたら良いのか、という話です。現代でもそっくり同じ事が起こりえます。3節に具体的なアドバイスがあります。「子よ、その時にはこうして自らを救い出せ。あなたは友の手中に落ちたのだから、気弱にならず、友にうるさく求めよ。」借金取りではなく保証してやって友にその責任を求めよ、と言います。
あるいは6節以下では怠惰についての戒めがあります。蟻を見て蟻から学べ、という話です。「その道を見て、知恵を得よ。」蟻に対するイメージは、やはり古代イスラエルでも「勤勉」だったのかと思うと、何とも親近感がわくのではないでしょうか。9節からのところでも怠惰を戒めています。いつまでも寝たりボーッとしたりしているだけだと「貧しさは盗人のように、乏しさは盾を持つ者のようにやって来る」というのです。
マックス・ウェーバーという社会学者は、勤勉なプロテスタント教会の信徒の働き方、浪費せずに貯蓄するあり方が資本主義経済のゆりかごになったと言います。さらに言えば、もともとの資本主義経済は信仰に裏打ちされた勤勉さから生まれてきたのに、いつの間にか信仰という背骨が失われ、システムだけが残ってしまう。そのシステムは鉄の檻になって私たちを苦しめることになるだろう、と予言しています。見事に彼の分析どおりになってしまいました。閑話休題、そのような勤勉さを生み出す一つの根拠が、今日の箴言の言葉であったのかも知れません。もちろん箴言ですから、信仰、神を畏れる知恵が前提にあります。神を信じることと働くことは別々のことではありません。
今日一日、高ぶったり偽りを利用したりせず、神さまの御前で誠実に、隣人への愛をもって歩んでいきたい。そのように願います。

2024年4月17日の聖句

私の魂よ、主をたたえよ。 私の内なるすべてのものよ、その聖なる名をたたえよ。(詩編103:1) 私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐れみにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてく...