2021年6月25日金曜日

2021年6月25日(箴言7)

箴言7
子よ、私の言葉を守り
私の戒めをあなたの心に納めよ。
私の戒めを守って生きよ。
私の教えを目の瞳のように守れ。
それをあなたの指に結び
心の板に記しておけ。
知恵に「わが姉妹」と言い
分別に「わが親族」と呼びかけよ。
それはあなたをよその女から
滑らかに話す異国の女から守る。(1~5節)

この章は、最後に「それはあなたをよその女から、滑らかに話す異国の女から守る」とあるとおりに、姦通の罪への強い警告が語られています。ここまで箴言を読んできた中でも、この内容はすでに何回か出てきていました。それだけ、この罪を強く警戒していたと言うことなのでしょう。古今東西関係なく、姦通によって身を持ち崩すというのは誰にでも起こりえます。
箴言は知恵に「わが姉妹」と言い、分別に「わが親族」と呼びかけて、知恵や分別をもって生きることがこの誘惑から自由になる道だと言っています。知恵の戒めに耳を傾け、これをまるで自分の目の瞳のように大事にし、指に結びつけるようにして心に留め、心の板にしっかりと書き記す。そうやって知恵ある者として生きるなら、そのような過ちに溺れることはないはずだ、と言います。
改めて考えると、聖書が語る知恵の言葉は、このようなところにも関係があるということに驚きを覚えます。私たちの肉体的な情欲、心や感情、あるときには如何ともし難くなるそういうものをもっている私がどう生きるのか?聖書の知恵はそういう部分に関わっています。
使徒パウロは言います。「あなたがたの体は、神からいただいた精霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」(Ⅱコリント6:19~20)。聖書は、私たち自身以上に、私たちの肉体の価値やその尊さを知っている。ここに聖書の知恵があります。

2024年4月27日の聖句

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