詩編138
たとえ私が苦難の中を歩んでいても
あなたは私を生かし
手を伸ばして敵の怒りを防ぎ
右の手で私を救ってくださる。
主は私のためにすべてを成し遂げてくださる。
主よ、あなたの慈しみはとこしえに。
御手の業を止めないでください。(7~8節)
この詩編は、2節のところではこのように言っています。
あなたの慈しみとまことのゆえに
御名に感謝を献げる。
神さまの慈しみとまことを覚え、神さまの御名に感謝をささげ、神さまをほめ歌う。神さまへの感謝、そして賛美。それに生きる信仰者の祈りがこの詩編です。神さまへの賛美は、神様ご自身の慈しみによって、私たちの口に生まれます。神さまの慈しみとまことに生かされていることに気付いたとき、私たちは神さまを賛美しないわけにはいかなくなります。喜びに突き動かされるからです。
神さまの慈しみに、いかにして気付くのか?「たとえ私が苦難の中を歩んでいても、あなたは私を生かし・・・」と言います。苦難から解放されたから気付くのではない。抱えていた問題が解決したから神さまの慈しみを信じるのではない。苦難の中を歩んでいても、それでも神が私を生かしてくださっているという事実を知ったとき、そこにある神の慈しみに気付くのです。神が私を敵から守っていてくださること、神の右の手が私を救ってくださっていること。苦難の中で、神の慈しみが私を覆っていてくださっていることを、知るのです。
「主は高くおられ、低くされた者を顧みる」という言葉もあります。とても印象深い言葉です。主はどんなに高くおられても、低く地面にはいつくばっている者を見逃されることがありません。必ず、神さまは低い者を憶えていてくださる。だから、私たちは身も心も低くして、神さまの栄光をほめたたえましょう。身をかがめて神を賛美するとき、神さまが私たちを引き上げてくださいます。
たとえ私が苦難の中を歩んでいても
あなたは私を生かし
手を伸ばして敵の怒りを防ぎ
右の手で私を救ってくださる。
主は私のためにすべてを成し遂げてくださる。
主よ、あなたの慈しみはとこしえに。
御手の業を止めないでください。(7~8節)
この詩編は、2節のところではこのように言っています。
あなたの慈しみとまことのゆえに
御名に感謝を献げる。
神さまの慈しみとまことを覚え、神さまの御名に感謝をささげ、神さまをほめ歌う。神さまへの感謝、そして賛美。それに生きる信仰者の祈りがこの詩編です。神さまへの賛美は、神様ご自身の慈しみによって、私たちの口に生まれます。神さまの慈しみとまことに生かされていることに気付いたとき、私たちは神さまを賛美しないわけにはいかなくなります。喜びに突き動かされるからです。
神さまの慈しみに、いかにして気付くのか?「たとえ私が苦難の中を歩んでいても、あなたは私を生かし・・・」と言います。苦難から解放されたから気付くのではない。抱えていた問題が解決したから神さまの慈しみを信じるのではない。苦難の中を歩んでいても、それでも神が私を生かしてくださっているという事実を知ったとき、そこにある神の慈しみに気付くのです。神が私を敵から守っていてくださること、神の右の手が私を救ってくださっていること。苦難の中で、神の慈しみが私を覆っていてくださっていることを、知るのです。
「主は高くおられ、低くされた者を顧みる」という言葉もあります。とても印象深い言葉です。主はどんなに高くおられても、低く地面にはいつくばっている者を見逃されることがありません。必ず、神さまは低い者を憶えていてくださる。だから、私たちは身も心も低くして、神さまの栄光をほめたたえましょう。身をかがめて神を賛美するとき、神さまが私たちを引き上げてくださいます。