2024年1月12日金曜日

2024年1月12日の聖句

私はこの地では寄留者です。(詩編119:19)
たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。(2コリント5:1)

神を信じる者は寄留者、旅人です。アブラハムは神に呼ばれて旅に出ました。モーセもそうです。ダビデは王になった後も自分の罪や家族の不和のために逃亡の旅をしなければならなくなりましたし、預言者も定住者ではなく常に旅をしながら御言葉を生きていきました。主イエスの弟子たちも旅人であり、使徒パウロも旅をしながら生きていました。神を信じる者は、旅人です。その旅のあり方はそれぞれで、苦難の旅路もあれば悲しみの旅路もあるでしょう。それぞれの仕方で、しかし誰も神を信じる者たちは旅をしている。
私たちも旅人です。私たちの生活は定住を基本としていますが、しかし、この世にあってはやはり寄留者にすぎない。私たちの本国は天にある。まだ見ぬ天の故郷を目指す旅人であり、この世にあっては仮住まいの者。その事実が私たちの生き方を定めます。もしもこの世が本国であるなら、この世の価値が私たちにとっての絶対的な基準になります。この世での成功やこの世での豊かさ、評判、報いなどを求めて生きることになるでしょう。しかし別の本国をもっているなら、そうではなくなります。本国でどう評価されるかということに従って生きることになる。神が私たちを天の故郷にお迎えになるとき、一体何をお喜びになり、何を評価なさるのか。そのことを基準にして生きることが自然なことなのだと思います。
「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」この地上での生活は、それがたとえどんなに盤石に見えたとしても、仮のものに過ぎません。いつかは壊れてしまう。しかし永遠に残る住まいを神が備えてくださっています。私たちは永遠の価値を持って神に迎えていただく。その事実を前に、私たちは生きていきます。
主イエス・キリストの永遠の祝福と恵みの中、今日も私たちは命を与えられて、この一日の旅路へと送り出されています。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...