2024年1月17日水曜日

2024年1月17日の聖句

エフライムの腕を支え、歩くことを教えたのは私だ。しかし、私に癒やされたことに、彼らは気付かなかった。(ホセア11:3)
私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところへ戻って来る。(ヨハネ14:18)

ダビデ王の息子のソロモン王が死んだ後、イスラエルの国は南北に分裂しました。その内の北王国を、特にイスラエルと呼びます。この北王国イスラエルの最初の王はヤロブアムという人でした。エフライム族という部族出身でした。ですので、ヤロブアム王朝の時代のイスラエルのことを「エフライム」と呼ぶことがあります。今朝、私たちに与えれている旧約聖書ホセア書の背景になっているのは、ちょうどその時代であったようです。
「エフライムの腕を支え、歩くことを教えたのは私だ。しかし、私に癒やされたことに、彼らは気付かなかった。」
神がエフライムの腕を支えてくださった。歩くことを教えてくださった。神が彼らを一つの王国とし、これまで歩ませてくださった。それなのに、「私に癒やされたことに、彼らは気付かなかった」と主は言われます。ひどい忘恩を犯した。神が私たちを生かしてくださっていること、神の憐れみの中で今日を迎えたことを忘れ、まったくの恩知らずなことに神を蔑ろにしている。そのことを厳しく告発しています。
「恩知らず」の難しいところは、とっても自覚しにくい、というところにあると思います。そもそも自分が恩を受けていることをわきまえていない。そのこと自体が恩知らずということになるのでしょうが、神さまの恩がなければどうしようもない自分なのだということは、本当にすぐに忘れてしまいます。エフライムだけのことではなく、ヤロブアム王だけのことではなく、私自身への問いです。神のご恩に報いるどころか、そもそも恩をいただいていることすらもわきまえられていないのです。
しかしそんな私たちに向かって、主イエスさまは言ってくださいます。「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところへ戻って来る。」私たちの腕を支え、歩くことを教えてくださった神の初めの愛でなお私はあなたを愛そう、と主イエスさまは言ってくださるのです。恩知らずな私のために、それでもなお愛を傾けてくださる。お返しすることもできないほどの大きなご恩をいただいて、私たちは生かしていただいています。私たちにあるのは、キリストのご愛だけです。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...