イスラエルは主によって救われる。それは永遠の救い。あなたがたは代々とこしえに恥じ入ることも辱められることもない。(イザヤ45:17)
(ヨセフへの天使の言葉)マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。(マタイ1:21)
今日の旧約には「あなたがたは代々とこしえに恥じ入ることも辱められることもない」と書いてあります。ここに「恥じ入る」とか「辱められる」などと書かれていることがとても心に残りました。私たちが恥を受けることを、神さまは取るに足らないこととはおっしゃらない。私たちが辱めから解放されるということと救われるということとはとても深く結びついている、ということであるのだと思います。神さまは本当に深く私たちの心に寄り添ってくださるお方です。
ところで、今日の新約はヨセフが聞いた天使の言葉です。ヨセフはこれからマリアが産む子どもを「イエス」と名付けるように言いました。この子は自分の民を罪から救うから。「イエス」という名は「主は救い」という意味です。私たちを罪から救ってくださるお方として、マリアから生まれる幼子はイエスと名付けられます。
考えてみれば、私たちは自分の罪のために自分で自分を辱めているのかもしれません。自分で自分を損ない、自分自身が自分にとっての恥になってしまっているのかもしれません。罪という私たちの現実は、私たちの存在に深く食い込みます。私たちの生そのものが自分の罪による辱めに遭っている。イエスという神の子は、私たちを罪の恥から救ってくださる。
私たちは罪から救われなければ、もうどうしようもありません。私たちの問題の根は罪です。イエスという救い主のお名前を呼び、この方を求めて、私たちは生きていきます。
(ヨセフへの天使の言葉)マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。(マタイ1:21)
今日の旧約には「あなたがたは代々とこしえに恥じ入ることも辱められることもない」と書いてあります。ここに「恥じ入る」とか「辱められる」などと書かれていることがとても心に残りました。私たちが恥を受けることを、神さまは取るに足らないこととはおっしゃらない。私たちが辱めから解放されるということと救われるということとはとても深く結びついている、ということであるのだと思います。神さまは本当に深く私たちの心に寄り添ってくださるお方です。
ところで、今日の新約はヨセフが聞いた天使の言葉です。ヨセフはこれからマリアが産む子どもを「イエス」と名付けるように言いました。この子は自分の民を罪から救うから。「イエス」という名は「主は救い」という意味です。私たちを罪から救ってくださるお方として、マリアから生まれる幼子はイエスと名付けられます。
考えてみれば、私たちは自分の罪のために自分で自分を辱めているのかもしれません。自分で自分を損ない、自分自身が自分にとっての恥になってしまっているのかもしれません。罪という私たちの現実は、私たちの存在に深く食い込みます。私たちの生そのものが自分の罪による辱めに遭っている。イエスという神の子は、私たちを罪の恥から救ってくださる。
私たちは罪から救われなければ、もうどうしようもありません。私たちの問題の根は罪です。イエスという救い主のお名前を呼び、この方を求めて、私たちは生きていきます。