2025年8月14日木曜日

2025年8月14日の聖句

主は言われた。「あなたの言葉の通り、私は赦そう。」(民数記14:20)
また、立って祈るとき、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。(マルコ11:25)

主イエス・キリストは、私たちが誰かを恨んでいるとき、その人を赦すことを求めておられます。主の祈りでも、「私たちの罪を赦してください、私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」と祈るように、とおっしゃいました。
主イエスは、私たちが当然のように自分が赦されることだけを求めるのではなく、「誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい」とお命じになります。私たちにとってはたいへんチャレンジングなご命令です。
ところで、日本のキリスト教界では、多くの場合、罪のゆるしという意味での「ゆるす」を「許す」ではなく「赦す」という字で表記しています。「許す」が「許可」の字であることから避けたのだろう、と思います。神さまが私たちの罪を赦してくださったというのは、私たちが罪を犯すことを許可したり、罪をしてもいいことにする、という意味ではありません。罪の結果を神ご自身が引き受け、御子イエスに負わせた上で私たちを受け入れてくださった、という意味です。
神のしてくださった罪の赦しの有り難さ(文字通り、「有り難い」ことです。)を、骨身にしみて味わいましょう。「あなたの言葉の通り、私は赦そう」と神は言ってくださいます。この果てしない赦しの恵みに打ちのめされたとき、私たちも自分の赦せないという思いに固執するのではなく、神が負ってくださった罪の痛みを僅かでも負う者にして頂けるのではないでしょうか。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...