兄弟に対して、心の中に悪意を抱いてはならない。(ゼカリヤ7:10)
皆思いを一つにし、同情し合い、きょうだいを愛し、憐れみ深く、謙虚でありなさい。(1ペトロ3:8)
「兄弟・きょうだい」というのは、共に神を信じる仲間たちのことです。ですから今日の聖書の御言葉は、教会の人間関係の話をしていることになります。
まず、「皆思いを一つに」するように、と言っています。スポーツのチームであれば、大会での優勝とか技術力の向上とか、何らかの共通の目標や思いがあるでしょう。チーム一丸になって同じ目標を共有していると、個々人でいるときにはないチームならではの力を発揮することができるようになります。私たちキリスト教会の場合は、どういう思いを共有するのでしょうか。それは言うまでもなく、主イエス・キリストの示してくださった神の愛であり、このお方を信じる信仰、そしてキリストが与えてくださった希望であるのではないでしょうか。キリストにあって、私たちは思いをひとつにする。
同情、兄弟愛、憐れみという言葉もあります。どれも、悲しんでいたり痛んでいたりする隣人への想像力に満ちた愛の心です。人が痛んでいるのを自分の痛みとして痛み、悲しみに思いをいたす。主イエス・キリストは私たちと同じ一人の人間としてお生まれになりました。このお方こそ、究極の憐れみのお方です。
そして、聖書は私たちに「謙虚」を求めています。私たちが神の前に、そして兄弟姉妹の前に謙ること。神の前に一体自分は何者なのか?隣人に対してどれほどの者なのか?何も誇ることのできない自分であることを認め、謙る。
このように見ていきますと、教会は、キリスト抜きの人間関係はあり得ないのだということに改めて気付きます。主イエスさまが私たちの間にいてくださり、共にキリストを仰ぎ、福音の言葉に聞き、このお方を賛美し礼拝する。聖霊なる神様が私たちの間を満たしてくださって、私たちを神のものとしてくださいます。
皆思いを一つにし、同情し合い、きょうだいを愛し、憐れみ深く、謙虚でありなさい。(1ペトロ3:8)
「兄弟・きょうだい」というのは、共に神を信じる仲間たちのことです。ですから今日の聖書の御言葉は、教会の人間関係の話をしていることになります。
まず、「皆思いを一つに」するように、と言っています。スポーツのチームであれば、大会での優勝とか技術力の向上とか、何らかの共通の目標や思いがあるでしょう。チーム一丸になって同じ目標を共有していると、個々人でいるときにはないチームならではの力を発揮することができるようになります。私たちキリスト教会の場合は、どういう思いを共有するのでしょうか。それは言うまでもなく、主イエス・キリストの示してくださった神の愛であり、このお方を信じる信仰、そしてキリストが与えてくださった希望であるのではないでしょうか。キリストにあって、私たちは思いをひとつにする。
同情、兄弟愛、憐れみという言葉もあります。どれも、悲しんでいたり痛んでいたりする隣人への想像力に満ちた愛の心です。人が痛んでいるのを自分の痛みとして痛み、悲しみに思いをいたす。主イエス・キリストは私たちと同じ一人の人間としてお生まれになりました。このお方こそ、究極の憐れみのお方です。
そして、聖書は私たちに「謙虚」を求めています。私たちが神の前に、そして兄弟姉妹の前に謙ること。神の前に一体自分は何者なのか?隣人に対してどれほどの者なのか?何も誇ることのできない自分であることを認め、謙る。
このように見ていきますと、教会は、キリスト抜きの人間関係はあり得ないのだということに改めて気付きます。主イエスさまが私たちの間にいてくださり、共にキリストを仰ぎ、福音の言葉に聞き、このお方を賛美し礼拝する。聖霊なる神様が私たちの間を満たしてくださって、私たちを神のものとしてくださいます。