人間の子は息のようなもの。
人の子は欺き。
秤にかけられれば共に息よりも軽い。(詩編62:10)
宝は、天に積みなさい。そこでは、虫が食って損なうこともなく、盗人が忍び込んで盗み出すこともない。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ。(マタイ6:20~21)
今日与えられている旧約の御言葉ですが、この詩編を冒頭から読んでみると、例えば4節には「いつまでお前たちは人に襲いかかり、一団となって殺すのか」とあり、5節では「彼らは人をその地位から引きずり下ろそうと謀り、偽りを喜び、口で祝福し、腹の底では呪う」と言っています。ですから今日の御言葉で「人間の子は息のようなもの。人の子は欺き」と言っているのは、人間の言葉や行いに隠された暴力や悪意、虚偽に苦しんでいる者の嘆きを現しているのだと思います。しかも、「一般的に言って人は嘘をつく」とか「人間には暴力的な傾きがある」とか言っているのではなく、実際にそのような目に遭わされて苦しんでいる人の声であるのでしょう。
この詩編は、それに対して「私の魂よ、ただ神に向かって沈黙せよ。私の希望は神から」(6節)と言って、神だけに救いを求めています。今日の新約でも、主イエスは、人間の造り出す社会が不正や悪に満ちていることを一つの前提としつつ、天の神のみもとに宝を積むように、と言っておられます。
私たちはどこに目を向け、何を重んじて生きるのでしょうか。私たちを本当に生かし、私たちを支えてくださるのは主なる神さま。その事実により頼んで生きよう、と聖書の御言葉は私たちを励ましているのではないでしょうか。
人の子は欺き。
秤にかけられれば共に息よりも軽い。(詩編62:10)
宝は、天に積みなさい。そこでは、虫が食って損なうこともなく、盗人が忍び込んで盗み出すこともない。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ。(マタイ6:20~21)
今日与えられている旧約の御言葉ですが、この詩編を冒頭から読んでみると、例えば4節には「いつまでお前たちは人に襲いかかり、一団となって殺すのか」とあり、5節では「彼らは人をその地位から引きずり下ろそうと謀り、偽りを喜び、口で祝福し、腹の底では呪う」と言っています。ですから今日の御言葉で「人間の子は息のようなもの。人の子は欺き」と言っているのは、人間の言葉や行いに隠された暴力や悪意、虚偽に苦しんでいる者の嘆きを現しているのだと思います。しかも、「一般的に言って人は嘘をつく」とか「人間には暴力的な傾きがある」とか言っているのではなく、実際にそのような目に遭わされて苦しんでいる人の声であるのでしょう。
この詩編は、それに対して「私の魂よ、ただ神に向かって沈黙せよ。私の希望は神から」(6節)と言って、神だけに救いを求めています。今日の新約でも、主イエスは、人間の造り出す社会が不正や悪に満ちていることを一つの前提としつつ、天の神のみもとに宝を積むように、と言っておられます。
私たちはどこに目を向け、何を重んじて生きるのでしょうか。私たちを本当に生かし、私たちを支えてくださるのは主なる神さま。その事実により頼んで生きよう、と聖書の御言葉は私たちを励ましているのではないでしょうか。