2025年8月9日土曜日

2025年8月9日の聖句

あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、あなた方の心を主に向けなさい。(ヨシュア24:23)
あなたがたの役に立つことは一つ残らず、伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。(使徒20:20,21)

「あなたがたの中にある異国の神々」と言われています。異国の神々が「あなたがたの中」にある。それだけ深く私たちの生活習慣や因習の中に根を下ろしている、ということではないでしょうか。考えてみると、日本語でも「これは宗教ではなく習慣だ」という言い方があります。私たちの生活に深く関わる因習のようなものが、実は「異国の神々」の現れであるということもあるのではないでしょうか。
同じことを、少し視点を変えて考えてみます。「異国の神々」が生活習慣に深く根を下ろしているということは、逆に言えば、主なる神さまの方はよそ者だ、と考えられているということだと思います。私たちもよく耳にします、「キリスト教は西洋の宗教だ」「日本人の宗教ではない」、と。それではヨーロッパに行けばキリスト教という土着の宗教があるということなのでしょうか。確かにヨーロッパ世界には2000年近くの伝統があります。しかし、もとはイスラエル(つまり西アジア)の人々の信仰です。ところがもっと遡って考えれば、何も「イスラエル人が発明した宗教」ではない。神は遠くから来られて、アブラハムと出会い、その子どもたちと出会い、彼らの神になってくださった。そのお方が独り子イエスを与えてくださった。つまり、「キリスト教」という誰かにとっての所与の宗教があって、それが伝来して私たちが帰依している、ということではないのです。私たちの誰にとっても他者であるお方、このお方の前では誰もがよそ者であるお方。この神が私たちを訪れ、出会い、私たちをご自分の民としてくださったのです。
キリストとの出会いは私たちを新しくします。私たちの主人は、私たちの間にある「まことの神ならぬもの」からイエス・キリストに替わります。私たちと出会ってくださった主なる神に、私たちの主人が替わるのです。私たちの主イエスに対する信仰。それは神が私たちに与えてくださるものです。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...