(神の言葉)あなたが苦難の中で叫ぶと、私はあなたを助け出した。(詩編81:8)
ペトロは風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえた。(マタイ14:30~31)
真夜中のガリラヤ湖。舟に乗っていたのは弟子たちだけです。主イエスは一人、祈るために山に登っておられました。弟子たちの舟はまだ陸から離れていたのに、逆風のために悩まされていました。すると夜が明けるころ、主イエスが湖の上を歩いて弟子たちの乗る舟まで来てくださったのです。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」そう言ってくださる主イエスの声が響きます。
するとペトロはよほど嬉しかったのでしょう。「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いて御もとに行かせてください」と願いました。主は「来なさい」と言ってくださった。ところがペトロは周りで吹き荒れる風を見て怖くなった。するとみるみるうちに水に呑み込まれて沈んでしまった・・・。
私はここを読むといつも思います。マタイは、何度も教会でこの話をしたに違いない。それを聞いた人々は、今ここにいる私たちの話としてこれを聞いたに違いない。あのとき、主イエスは山に登って舟には乗っておられませんでした。それはちょうど主イエスが天に昇られ、今ここにいてくださらない、という状況に重なります。主がおられない舟を風が襲い、逆風のために進めなくなっている。それは、世の迫害や困難のためにあえいでいる教会の状況そのものです。しかし、夜明けの光のように復活した主イエスが舟、つまり教会に来てくださっている。その光を頼りに、風の吹きすさぶ水の上へ私たちは歩み出していく。ペトロのように。しかし、やはり風を見れば怖くなるし、信仰が揺らいでしまうこともあるでしょう。「主よ、助けてください!」そう叫ぶ私たちに主は手を伸ばして掴んでくださいます。そしておっしゃるのです。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」
ですから、主を信じましょう。どんなに私たちに吹き付ける逆風が強くても、このお方の歩みを留めることはできません。私たちはしっかりと主に目を向け、このお方とその御言葉を信じましょう。「あなたが苦難の中で叫ぶと、私はあなたを助け出した」と告げてくださるお方を。私たちが信じるのは「私だ、恐れることはない」というキリストの言葉です。不信仰に余地を残してはならないのです。
ペトロは風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえた。(マタイ14:30~31)
真夜中のガリラヤ湖。舟に乗っていたのは弟子たちだけです。主イエスは一人、祈るために山に登っておられました。弟子たちの舟はまだ陸から離れていたのに、逆風のために悩まされていました。すると夜が明けるころ、主イエスが湖の上を歩いて弟子たちの乗る舟まで来てくださったのです。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」そう言ってくださる主イエスの声が響きます。
するとペトロはよほど嬉しかったのでしょう。「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いて御もとに行かせてください」と願いました。主は「来なさい」と言ってくださった。ところがペトロは周りで吹き荒れる風を見て怖くなった。するとみるみるうちに水に呑み込まれて沈んでしまった・・・。
私はここを読むといつも思います。マタイは、何度も教会でこの話をしたに違いない。それを聞いた人々は、今ここにいる私たちの話としてこれを聞いたに違いない。あのとき、主イエスは山に登って舟には乗っておられませんでした。それはちょうど主イエスが天に昇られ、今ここにいてくださらない、という状況に重なります。主がおられない舟を風が襲い、逆風のために進めなくなっている。それは、世の迫害や困難のためにあえいでいる教会の状況そのものです。しかし、夜明けの光のように復活した主イエスが舟、つまり教会に来てくださっている。その光を頼りに、風の吹きすさぶ水の上へ私たちは歩み出していく。ペトロのように。しかし、やはり風を見れば怖くなるし、信仰が揺らいでしまうこともあるでしょう。「主よ、助けてください!」そう叫ぶ私たちに主は手を伸ばして掴んでくださいます。そしておっしゃるのです。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」
ですから、主を信じましょう。どんなに私たちに吹き付ける逆風が強くても、このお方の歩みを留めることはできません。私たちはしっかりと主に目を向け、このお方とその御言葉を信じましょう。「あなたが苦難の中で叫ぶと、私はあなたを助け出した」と告げてくださるお方を。私たちが信じるのは「私だ、恐れることはない」というキリストの言葉です。不信仰に余地を残してはならないのです。