2014年7月6日日曜日

使徒言行録5:27-42「新しい喜び」

ペトロと他の使徒たちは主イエス・キリストの福音を証言し、多くの病人をいやします。多くの人々が主イエスを信じました。しかし、それが当時の宗教指導者の妬みを買い、彼らは捕らえられ、最高法院の尋問を受けることになります。迫害がいよいよエスカレートしたのです。使徒たちは答えます。「わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。」捕らえられ、牢につながれ責め立てられながら彼らは証言します、主イエスにある罪の赦しの福音とその望みを。この苦しみのときを却って福音を証しする機会としたのです。驚くべき事です。迫害されたり、迫害とまで行かなくても苦しい目に遭ったりすると、多くの場合、落ち込んでしまいます。神さまを信じ続けることに難しさを覚えてしまいます。あるいは、現代の日本という社会の状況やこれからへの見通しが暗いことを覚えたとき、多くの人は絶望的な展望を口にします。しかし、キリストの復活の証人であるキリスト者は、苦しみのときに望みを証しするのです。確かに、わたしたちの罪の闇は深い。神の子を殺してしまうほどに。しかし、その神の子であられるイエス・キリストを神は復活させ、わたしたちを悔い改めさせ罪をゆるすために、導き手、救い主にしてくださいました。どんなにわたしたちの闇が深くて濃くても、わたしたちが証言するのは絶望ではなく希望です。キリストがあなたをも救ってくださった!しかし、望みを証ししているからと言って、皆が喜んで話を聞いてくれるわけではありません。主イエスさまご自身がかつておっしゃいました。「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために追うや総督の前に引っ張っていく。(ルカ21.12)」喜ばれるどころか迫害され、喜びの報せを告げた代償は苦しみだと言うのです。しかし、更に主イエスは続けられます。「それはあなたがたにとって証しをする機会になる。」苦しみのときにこそ、キリストを信じる者は証しをします。キリストがわたしたちを救ってくださったことを。キリストにあって望みがあることを。苦しむ者の証しにこそ力があるのです。今回のブラジルへの旅でマッタ伝道教会のT長老のお宅に夕食に招いて頂きました。特にゆっくりとお話するチャンスを頂いた長老のお母様は娘と孫を亡くした経験の持ち主です。苦しみ、試練の中で強められた信仰、望みを証ししてくださいました。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...