創世記24;
アブラハムの息子のイサクの結婚の物語です。とは言っても、イサ
アブラハムは自分の老僕にイサクの結婚相手を探すように命じまし
その命を受けて、老僕は旅をします。果たして、彼は一人の娘に出 会いました。この人がイサクのために神が定めた人なのか。 祈りながら、彼女のすることを見つめます。 印象的な言葉があります。「僕は、主がこの旅の目的をかなえてく ださるかどうかを知ろうと、黙って彼女を見ていた。(21節)」 僕が注目していたのは、神様が何をしておられ、 何を願っておられるか、ということでした。だから、 僕は彼女こそと確信したときに、主なる神様を賛美します。「 主は、その慈しみとまことを主人から取り去られることはありませ んでした(27節)」と。
そして、その娘、リベカもやはり、ここに神様の願いがあると信じ たから、まだ会ったこともないイサクのもとへ行くことを決心した のだと思います。
私たちは、結婚に代表されるような人生の決断の時、何を最優先に するでしょうか?神様は今何をしておられるのか、何を望んでおら れるのか。私たちは、自分が何を望み、何をしようとしているのか ということではなく、神様に目を向けたい。そう願います。
そして、その娘、リベカもやはり、ここに神様の願いがあると信じ
私たちは、結婚に代表されるような人生の決断の時、何を最優先に