2019年5月24日金曜日

2019年5月24日(サムエル記上14)

今日の通読箇所:ルカによる福音書20:19~47、サムエル記上14、ヨブ記4

サムエル記上14;
サウル王、そして息子のヨナタンの特性がよく表れている章だと思います。
ヨナタンは勇敢な若者でした。600人のペリシテ人を前にしても恐れることなく、「さあ、あの無割礼の者たちの本体のところへ渡って行こう。恐らく主は我々に味方してくださるであろう。主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない(6節)」と言い切り、その通りに実行します。ヨナタンは目に見えるところによって判断するのではなく、主が見方でいてくださるという事実によって判断しました。サウルが兵に命じて「私が敵に報復する夕方まで、食べ物を口にする者は呪われる」という無理な誓いを立ててしまったとき、ヨナタンは王の権威を恐れるよりもこの無理に怒りを抱きました。彼は勇敢であり、まっすぐに主を見上げる青年であったのだと思います。
それに対する父サウルは、目に見えるところばかりに気を取られています。サウルも知らないうちにヨナタンが敵陣に侵入して果たした作戦が成功しているのを遠くから見たサウルは、その目に見えた結果で自陣を捜索し、ヨナタンがいないことに初めて気づきます。また、ペリシテ憎しのあまりに兵全体に食べ物を口にしない誓いに参加させます。ヨナタンはその誓いのことを知らないで蜂蜜を口にし、誓いを破ってしまいました。そのためなのか、「この日、主は彼にお答えにならなかった(37節)」。それでサウルはくじを引いて、ヨナタンが誓いを破ったのだと知ります。サウルは誓いを破った者はたとえ息子ヨナタンであろうとも死ななければならないと、また軽く口にしてしまった。果たしてくじはヨナタンに当たり、彼が蜂蜜を口にしたことを知ります。ヨナタンは、父の誓いを尊重して、自分は死ぬべきだと言います。サウルもそれを認めます。ところが、ヨナタンは人望が厚く、兵はヨナタンの処刑に反対します。それで、ヨナタンは死刑を免れました。
自分で勝手に兵全体を巻き込む誓いを立てたことも褒められたものではありませんし、ヨナタンが破ったことを知ったとき、その誓いを果たさなかったのは兵の目を恐れたからです。どこをどう切り取っても、サウルの基準は人の目でした。自分がどう見られているのか(彼は元々美男子だったのです!)、自分の目に状況はどう映っているか、それが彼の基準でした。サウルのこの姿勢は、悲劇的な不信仰でした。私たちの基準は、どこにあるのでしょうか?

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