2019年6月27日木曜日

2019年6月27日(列王記上19〜20)

今日の通読箇所:使徒言行録17:16~34、列王記上19~20、ヨブ記39

列王記上19~20;
450人ものバアルの預言者との対決に勝ったエリヤですが、そのニュースは王妃イゼベルを激しく怒らせます。彼女はエリヤを必ず殺すと誓います。「それを聞いたエリヤは恐れを抱き、命を守ろうと直ちに逃れて、ユダのベエル・シェバに行き着いた(19:3)」。しかし、もう彼には生きる気力が残っていませんでした。「主よ、もうたくさんです。私の命を取ってください。私は先祖にまさってなどいないのですから(4節)」。深い絶望の中で、もう自分の命を取ってくださるように、神に祈ったのです。
そんなエリヤのために、神様は御使いを遣わして「起きて食べなさい」と、食べるものを与えてその道を守り、40日40夜彼は歩き続け、ついに「神の山ホレブに着いた(8節)」のです。ホレブ、それはかつてモーセが燃える柴を見た場所です。神が彼に語りかけ、奴隷として追い使われていたヘブライ人のところへと遣わした場所です。やがてモーセと共にここまで来た神の民は、この神の山ホレブで十戒を神から頂きました。つまり、ここはエリヤたち神を信じる者の、信仰者としての原点のような場所です。神が私たちをご自分の民としてくださったという恵みの事実によってだけ成り立っている場所なのです。神は、疲れ切ったエリヤを、そういう場所へ連れて来てくださったのです。
私たちが深く絶望し、命のために恐怖におののき、あるいは気力が失われてしまうとき、神は私たちをご自分の前へと導いてくださいます。他のどこかではない。私たちの生きるべき命の源は、
神の御許、つまり神を礼拝するところにあるからです。
そこで神はエリヤの前に激しい風と地震と火をもって臨まれます。ところが、そのどのなかででも神はエリヤと出会われなかった。神は、エリヤに「かすかにささやく声(12節)」で語りかけました。この声の中で、神は「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか(13節)」と言ってエリヤに出会ってくださったのです。私たちは神を礼拝し、神は私たちに静かでかすかな声で語りかけておられる。その声に聞くとき、私たちはもう一度たつことができる。なぜなら、神はこの語りかけの中で、彼が独りぼっちではないことに気づかせてくださったからです。彼は孤軍奮闘していると思い込んでいましたが、実際には7000人、バアルにひざまずかなかったものが残っていました。そして、エリシャという彼の弟子として共に歩む人も与えられた。神様はエリヤのことを本当によくご存じで、彼が一番必要としていた助けを与えてくださった。
神様は、私たちにも語りかけておられます。神様の御前で、私たちが生きる者となるための御言葉を。

2024年12月22日の聖句

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