今日の通読箇所:ヨハネによる福音書4:31~54、歴代誌上9~10、箴言11
歴代誌上9~10;
「ユダは背信の罪のために、バビロンに捕囚として連れ去られたが、最初に自分たちの町の所有地に戻って住んだのは、イスラエルの人々、祭司、レビ人、神殿に仕える者であった(9:1~2)」。
前の章までの長い系図は、神様が一方的に選び、神の民に加えてくださった恵みの系図でした。しかし、同時に、神への背信を重ねた罪人の系図でもありました。神を裏切り、神の愛と慈しみをむげにし、罪深い歴史を重ねました。その歴史は、神の手によって裁かれました。ところが、彼らはやがてバビロンからイスラエルの地に戻って来た。その最初は、イスラエルの人々、祭司、レビ人、神殿に仕える者でした。
この後のエズラ記などを見ると、帰還民が最初にしたのは神殿の再建築でした。祭司やレビ人を中心に、もう一度礼拝の再建からやり直したのです。裁かれ、崩壊した神の民の再出発は、礼拝から始まりました。そのための祭司であり、レビ人です。
さて、9:35から、話は捕囚前に戻ります。捕囚前と言っても捕囚の直前ではなく、それよりもずっと前、イスラエルの王国形成期です。つまり、「キシュはサウルをもうけ、サウルはヨナタン・・・をもうけた(39)」と言っているとおり、初代国王サウルの話に時代は数百年戻ります。とは言っても、第10章はいきなりサウルの死の場面です。サウルがどのように王になったのかという、サムエル記が詳しく描いていた話はすべて省略します。ただ、彼の死だけを見せる。そして、その原因に言及します。「サウルは主に対する背信の罪のために死んだ。彼は主の言葉を守らず、霊媒に伺いを立て、これに尋ねながらも、主に伺いを立てようとはしなかった(10:13~14)」。この「背信の罪」という言葉は、9:1でも「ユダの背信の罪」として登場していました。つまり、この罪はサウロ一人の問題ではない。ユダの国の皆が神に背信していた。罪の虜になっていた。王国の歴史を振り返るとき、まず罪から始めます。神の前に背信を重ねた罪人。それが私たちの原点だ。聖書はそう告白しているのではないでしょうか。
2025年1月11日の聖句
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