ローマの信徒への手紙8:18~39;
「しかし、これらすべてのことにおいて、私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります。私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。」
何と力強い御言葉でしょう!例えどのようなものであっても、私たちを神の愛から引き離すことはできない。「勝って余りある」と言います。私はだめだけど、キリストがすごい分少しだけ勝てる、というのではありません。私たちは勝って余りある、大勝利を収める。その勝利は、キリストの愛の勝利です。私たちが神の愛によって勝ち取られ、キリストのものとなるという勝利です。そのために、キリストは神の右にいて、私たちのために執り成してくださるというのです。
この聖書の御言葉は、「これらすべてのことにおいて」と始まっていました。苦難や迫害、飢え、裸、危険、剣などを数えています。パウロは、今この時の私たちの苦しみの現実を考えています。彼は「思うに、今この時の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光と比べれば、取るに足りません」と言います。苦しいと、目の前のことしか見えなくなります。今この時がすべてであるような気持ちになって、辛くなります。苦しみの現実を客観的に見る秘訣は、将来を望むことです。だから、パウロは「将来私たちに現されるはずの栄光と比べれば、取るに足りません」と言いました。将来の約束に目を向けると、この時が相対化されます。すべてだと思い込んでいた今の苦しみの先に希望があることに気づきます。
ただし、その将来に希望があると信じられないと、今ですべてになってしまうのではないでしょうか。私たちの今は虚無に服したものであるかもしれません。私たちは呻き、苦しんでいる。しかしその苦しみが「産みの苦しみを味わっている(22節)」のだと気づくことができるのは、キリスト・イエスによって神の愛を示されているからに他ならないのではないでしょうか。
キリストこそ私たちの希望、慰め、救いです。キリストに示された神の愛はどのようなときにも変わることなく、私たちを掴んで放さない、確かな神様の思いなのです。
2024年4月26日の聖句
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